巻頭言
帝塚山大学教授 森口 親司
1997年7月
歴史家S.アンブローズは、第2次大戦終了50周年を振り返って、“World WarII Remembered”という一文を World-Almanac 1996年版に寄稿した。これは、第2次世界大戦が、いかに米国と米国人を作り変えたかを、歴史家の眼で簡潔かつ印象的に述べたものである。中でも強烈な印象を与えるのは、1929年の大恐慌とその後の「大不況」がいかに深刻であったかということである。米国民の多数を無気力かつシニカルにしてしまったこの状況から、救い出したものは、第二次世界大戦への米国の参戦であった。世界にとって20世紀最大の「災厄」であるとされるこの大戦は、2000万人を超える死者と、史上空前の破壊をもたらしたが、米国にとっては災厄ではなくまさに「救い」だった。それは米経済を大不況から脱出させて完全雇用をもたらし、国民を「民主主義と自由」の勝利のために団結させることによって生きがいを与え、大戦の勝利によって米国のスーパーパワーとしての地位を不動のものとし、米国のヘゲモニーを支える「陽気で率直で親切なアメリカ人」を作り出したのである。
1930年代の世界的不況は、マクロ経済政策のあり方を大きく変えた。ケインズ経済学の根底には「大不況恐怖症」とでもいうべきものがあった。ケインジアンの理論は70年代から80年代にかけて批判にさらされたが、それはケインズ的政策の「成功」によってもたらされたもので、失敗によるものではない。成功とは、20世紀後半の世界経済において、経済がある程度の安定性を獲得し、大不況から自由になったということである。
70年代のエネルギーショックを契機として、インフレをコントロールしながら成長を持続することが難しくなったが、その原因はエネルギー価格ショックやその後の情報通信革命によって大きな「価格ショック」が経済構造調整を迫ったからである。従来のマクロの経済政策だけでは構造変化に対処できなくなった。先進国経済が、戦後の完全雇用を保証された「福祉国家」体制の中で適応力を失ってしまったのだ。
サッチャー・レーガンの新自由主義(ないし新「保守主義」)政策は、規制撤廃によって市場の適応力を回復させようというものであった。それは成功した。米国経済は再活性化し、インフレなき成長の道を歩んでいる。驚くべきことに最近の同国の失業率は5%をきっている。25年らいの低水準である。
歴史は繰り返すか?
大恐慌に先立つ米国の「狂乱の20年代」(Roaring Twenties)はまさにバブルの時代であった。この時代、経済は成長したが富の集中も加速した。大不況の原因の一つに、所得格差の拡大によって個人消費が低迷したことがあげられているが、それは所得分配の不平等化と無関係ではない。
80年代以降の米国では、米国経済の再活性化をもたらした成長産業において、優秀企業の「一人勝ち」(Winner-take-all 略してWTA)現象が強まった。企業だけでなく有能な企業家やタレント・スポーツ選手のなかでもスーパースター級の人々の所得水準は急拡大した一方、一般の賃金労働者の実質所得はこの15年間でほとんど増えていない。情報通信産業のグローバリゼーションの過程では、パソコンのOSや通信ソフトも「一人勝ち」傾向が強まっている。所得分配の不平等化は、米国だけでなく、英国、豪州、ニュージーランドなど、経済の再活性化に成功したアングロサクソン諸国に共通した傾向である。
現在、米国の景気は個人消費の堅調な伸びによって維持されている。設備投資も活発だ。しかし近い将来、所得分布の不平等が「過少消費」につながって景気停滞の原因になるということはないだろうか?「勝者」が利益を独占して、設備投資やR&D投資が不活発になってしまうことはないだろうか?
マクロ経済政策の解体
再活性化した資本主義は、規制を撤廃すれば繁栄の永続が保証されるというものではない。市場経済は、放任しておけばバブルが膨れ上がり、その反動として不況が深刻になる傾向を常に秘めている。しかし、日米経済を観察すると、日本型マクロ経済政策に問題があることに気づかされる。
日本の企業間競争の特徴は横並びの競争であり、これが設備投資競争を通して景気変動を大きくさせる傾向を持っている。敗者になりたくないための競争が(一人勝ちを許さないためのと言い換えてもよい)、バブルを拡大させ、その収拾に財政政策を動員してきた。あるいは、財政政策による下支えという保障があるので、企業間競争はかえって激しいものとなったといえる。逆に米国の景気安定の秘密は、企業の競争が完全に自己責任において行われるので、かえって行き過ぎた投資競争が抑制されるところにあるといえる。
日本経済をもっとコントロール可能なものにするには、マクロ経済政策の根底に横たわっているこの「官民癒着」の構造を取り除くことが基本である。行政改革と財政改革の真の目的は、たんなる公共事業の削減にあるのではない。企業の自己責任による競争をとおして官民協調の「甘えの構造」から脱却するところにある。
