富士通総研

政策運営と透明性

経済評論家 田中 直毅

1997年4月

経済研究と経済の中長期的経路との間に密接な関係があるはずだという点に私はこだわっている。経済研究が進めば、それだけ経済の経路についての不確実性が取り除ける、という命題をわれわれは重んずべきなのだ。

1月下旬にポール・ボルカーに会った。ぜひとも聞きたかったのは、米国連銀が何をきっかけに金融の引き締めに踏み出すのか、またその影響が国際社会にどのように及ぶのかについての彼の見解だった。何しろ1994年1月の連銀の引き締めの開始は、長期金利の世界的な上昇のきっかけとなったし、この年の暮れにはメキシコの国際金融危機にまで結びついた。米国の需要の堅調さがどこかで世界経済の脆弱な環を撃つ可能性は今年もまた否定できないのだ。このきっかけとその影響をさぐることは現実経済の分析者にとってはmustともいうべき課題なのだ。

彼が言及した数字は次の2つだ。ひとつは米国の生産性の伸び率の年率1%というものだ。情報投資を中心とした経済成長過程が6年目に入っているにもかかわらず、米国の生産性の伸びは1%程度でしかない、という見極めは次の政策判断につながる。もし景気の経路が需要の急拡大という姿をとるようならば、予防的な引き締めが望ましいという判断だ。インフレに火をつけない慎重な配慮がいるということになる。ボルカーは、米国経済の天井はそんなに高くない、とみているのだ。

この点については計測の問題があるだろう。サービス経済化の進行の度合いの大きい米国経済において、従来のような生産関数の推計で生産性の伸び率が測定できるのか、という問いである。経済の内容のサービス化にともなって測定問題は困難を極めているといってよい。たとえばトービンのqだ。分母に再取得可能価格で評価した企業資産をとり、分子に企業の時価総額をとったものがこの比率である。 1以上ならば設備投資に刺激的な力が加わっており、1以下ならば実物投資ではなく、企業買収に向かうという傾向が指摘できよう。トービンはここを見極めるために、q比率という概念を提示した。

しかしこれは製鉄所やエチレンプラントの場合には意味のある比率だが、ソフトウェアの生産過程に適用するのには無理がありそうだ。米国の各企業についてq比率を測定してみれば、今日の株価の高値でもqは平均で2以下だが、たとえばマイクロソフト社は10以上という試算となる。しかしだからといってマイクロソフト社が買われ過ぎとはいえないのだ。

このようにサービス関連の経済活動が活発になれば、生産関数を構成する労働や資本の計測も難しく、技術進歩にかかわる見通しをつけるのも容易ではない。しかし「わからない」といっていたのでは話は前に進まないし、安定的な成長の持続という大命題を前に、日々判断を迫られているというのが実情だ。そして米国の経済研究の成果は、 1%という生産性の伸び率を経済の全体像として描き出しているのだ。ボルカーはこのユーザーの立場である。

もうひとつ彼が言及したのは、97年の四半期の成長率が2%台が続いたときが難しい、というものだ。もし2%以下の成長率ならば金融を引き締めるには及ばない。また3%を上回るようならば、引き締めのタイミングをはかることになる。判断が分かれるのは2%台だ、というものだ。

米国における政策判断は、この程度には数値化しているとみるべきであろう。さらに添け加えれば、ほとんど公開ゲームに近づいているといえる。世界経済のなかでの米国経済の影響力が高まっているとき、この公開性は貴重といえる。専門家としてのエコノミストの役割も、こうした公開ゲームを前提として、新しい枠組みの提供や計測の手法、そして因果連鎖の解明に向かうことになる。そしてこうした貢献によって新しい命題が生み出され、政策判断も変化を遂げることになる。

もう一点ボルカーがコメントした方に触れたい。

94年当時は長期金利は5%台、現在は6%台後半で1%程度はすでに当時よりも高いがゆえに、市場の反応は緩和されたものになるのでは、というのだ。ここでは長期金利の落ちつきどころについての見極めが進んでいることを示している。経済学の貢献としては、株価も債券価格も中期的な傾向値から離れ過ぎれば、短期的には反動がある、という知見にかかわっている。昨年12月にグリーンスパンが米国の株価について言及したのはこの観点からであったことが記憶されるべきであろう。

われわれは日本のマーケットをより透明なものにし、そこにおける値づけのところで切磋琢磨を重ねるべきなのだ。これは市場関係者の問題である前に、経済研究者の課題であるべきだ。枠組みと命題をめぐって研究者からの貢献がなければ、透明性も登場しないと覚悟すべきであろう。