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Japan

財政再建は急ぐ必要はない

2007年10月1日(月曜日)

敢えてこのような非常識なタイトルをつけたのには理由がある。長いこと日本の財政赤字は世界で最もひどく、放置すれば急速に悪化し、後世の世代はその負担に苦労することになる、と繰り返し聴かされてきた。これは本当だろうか?

財政再建論者にとっての不都合な真実

日本の一般政府(中央と地方政府の合計)の公的債務残高は約900兆円で経済規模(GDP )に対して180%になる。これは日本に次いで財政状態が悪いといわれたイタリアの120%よりはるかに高い。この数字はOECDのエコノミックアウトルックにある数字で、日本の財政がいかにひどいかを示す数字としてよく引用される。だが同じOECDのエコノミックアウトルックの次のページに公債の利子負担額のGDP に対する比率の国際比較が載っているのはほとんど知られていない。驚くべき数字が載っているのだ。日本の公債利子負担はGDP 比で 0.7%(2006年)と主要先進国で最低だ。しかもこの数字はこの数年下がっているのである。

なぜこんなことになるのかといえば、日本の金利が圧倒的に低いからだ。金利が低いということは、日本の国債は世界一信用度が高いということにほかならない。事実日本では国債の消化が困難という話は聞いたことがない。銀行は融資先がなく、国債を大量に所有している。一般国民も定期預金の金利がゼロという状態で国債を喜んで買っている。もし本当に日本の財政が危機的でデフォールトの懸念があるなら、こんなことにはならないはずだ。

それでは元本はどうするのか。私は元本の心配もない、と考えている。満期が来れば必ず借り換えが起こるからだ。返済を受けた人はまた次の国債を買うであろう。目下ほかによりよい運用先はない。

国債は資産

次に国の借金は将来世代の負担だという考えだが、これも疑問だ。確かに期限が来れば増税をしなくてはならないかもしれない。だがその税収は国債を保有している日本国民に還元されるのであり、なくなってしまうわけではない。要するに金が右のポケットから出て、左のポケットに入るだけのことだ。全体としてみれば負担が増えているわけではない。これが、かつての中南米や東欧諸国のように外国人が保有しているとなると、まさしく将来世代への負担になる。しかし、日本の国債の96%は日本人が保有しており、かかる状態からはほど遠い。逆に米国財務省債券を始め膨大な外国の債券を保有している。国債は保有している人にとっては資産であり、これを老後の確実な収入として年金の足しにしようと考えている人が多い。このように国債の金利支払いや元本の返済は実は社会保障を補完するものだ。これがなぜ負担なのか?

リカードの均等定理

次に政府が必要な資金を税金で徴収するのと借金でまかなうのとでは後の経済にとって違いがあるのかどうか。この問題は経済学の世界でも長いこと議論されてきた。200年近く前にこの問題を考えた経済学者のD.リカードは「どちらでも同じ(equivalent)。」という結論に達した。リカードの均等定理(Ricardian equivalence)と呼ばれるこの主張には反対する学者も少なくはない。国債を発行するとき、あるいはそれを返還するために増税が行われるときの経済状態や、国債を誰が保有するかなどによって効果は異なるからだが、国債は将来世代の負担になる、という主張は一般論としては成立しない。

混乱する財政議論

財政をめぐる議論は混乱している。とくに歳入側の問題と歳出側の問題を混同している場合が多い。国債発行が続けば規律が緩み無駄な歳出の削減が進まない、というような意見だ。無駄な支出がよくないことは国債でも税収でも変わらないはずだが、増税して得られた歳入なら無駄なく使われるという根拠がどこにあるのだろうか。

こんな話もよく聞く。赤字を垂れ流し続けた夕張市はついに破産し、職員は首切られ、小学校は16から2校に、病院はたった一つになった。老人をケアすることもできなくなり、年寄りは長年住み慣れた町を棄てて近隣の町に出て行った。日本もこのまま赤字を続けるといずれこのようになる、云々。これも問題を理解していない。夕張市の苦境はそもそも炭鉱という地域を支える産業が消滅したことと、高齢化が進んで、生産的な活動が維持できなくなったことにある。財政赤字はこのように経済基盤が崩壊した結果であり、その原因ではない。仮に10年前夕張市が大増税していたら今日の事態は避けられたのであろうか。きっと住民は脱出してもっと早く夕張市は消滅していたであろう。これは民間企業でも同じだ。企業が倒産するのは最後は借金が返せなくなるからだが、原因は商品が売れなかったり、生産効率が悪かったり、余計な投資をしたからだ。これを借金が原因で倒産した、と考える人はいない。

急ぐ理由はどこにも無い

最近財政再建の必要性を唱えるあるエコノミストに以上のような話をしたところ、「そのとおりです、根津さん。」という。彼は「今後少なくとも10年くらいは金利も低いままで、財政の問題は出てこないでしょう。問題はその先で、いずれ高齢化に伴って貯蓄率が下がり、インフレになる、そのときが大変です。いったんそうなるともう制御不可能です。だから今から準備しなくては駄目なんです。」 私もいずれは日本の貯蓄率が下がり、金利が上がり、国債の消化に苦労するような事態が来るであろうと想像する。だが、そのような事態は地震のようにある日突然襲って来るわけではない。金利上昇もインフレもある程度の期間を経てゆっくりと進行するはずだから、それに合わせて手を打っていくことが可能で、なぜ制御不可能なのかよくわからない。早すぎる財政再建は経済を縮小させるだけである。足元では企業部門が貯蓄性向を高めており、日本の資金循環上で貯蓄が急速に減少していくような状態ではない。日本の経常収支は相変わらず中国と並び世界一、二の水準で、金利は低く、インフレどころかデフレで困っているような状況だ。他方定率税減税の廃止の効果もあって政府部門の収入不足は急速に縮まっている。

2011年までにプライマリーバランスを回復する、という政府の方針は新内閣のもとで揺らぎ始めている。財政再建論者からすれば噴飯ものかも知れない。だが筆者からみれば、さまざまのオプションを議論しておくことは必要だが、人為的な期限を設けて急ぐような理由は見当たらない。経済を構成する家計や企業といった部門のバランスを度外視して、財政の均衡だけを達成すれば何かよいことがあるという議論はまやかしにしか思えない。


根津 利三郎(ねづ りさぶろう)
【略歴】
1948年 東京都生まれ、1970年 東京大学経済学部卒、通産省入省、1975年 ハーバードビジネススクール卒業(MBA) 国際企業課長、鉄鋼業務課長などを経て、1995年 OECD 科学技術産業局長、2001年(株)富士通総研 経済研究所 常務理事、2004年(株)富士通総研 専務取締役
【執筆活動】
通商白書(1984年)、日本の産業政策(1983年 日経新聞)、IT戦国時代(2002年 中央公論新社) など