ライブドア社長逮捕とその報道に思う
2006年1月26日(木曜日)
ライブドア社長の堀江貴文社長が1月23日に逮捕され、そのニュースが日本中を駆け巡った。ライブドアは、1996年にホームページ作成代行というビジネスを行い、学生のベンチャー企業として作られた企業だが、近年加速度的に成長を遂げ、ITのベンチャー企業のチャンピオンとして注目されていた企業である。2004年7月時点での時価総額は4856億であった。
ライブドアが国民の強い関心を呼んだのは、その急速な株式価値の増大を武器に多くの企業買収によって成長を続け、プロ野球球団の買収を試みて話題となり、とりわけ主要テレビ会社の一つであるフジテレビに強力な買収攻勢をかけ、連日メディアを賑わせたからである。派手な行動によってライブドアは国民の誰もが知る存在となり、家庭の主婦もTVの報道を通じ、資本市場の買収攻防戦のにわか専門家になり、子供たちにとっては、ホリエモン(堀江氏のニックネーム)は時代の新しいチャンピオンと目されるようになった。
ライブドアを率いる堀江氏は弱冠33歳、20代で巨額の富を手にし、Tシャツにノーネクタイという、ビジネス界では考えられない服装で注目され、また、軽快かつカジュアルな語り口で専門用語を多数あやつる独特な会話法で横紙破りの異端児もしくは若者のあこがれ社長として注目された。2005年9月の衆議院選挙では、守旧派を代表する亀井静香氏の対抗馬として堀江氏を自民党執行部が応援したほどである。
その堀江氏の逮捕は、大きなショックとなって日本中を震撼させたのである。ライブドアは、ここ数年単位株を1/100に分割するなどして安価にしつつ株数を増やし、子供たちをも含む多くの大衆株主が買えるようにすることで人気を高め、株価を上昇させるという手法を繰り返しながら会社の株式価値を高めてきた。その結果、ピーク時には株主数は22万に達したといわれる。
1月16日夕方に、かねてライブドアの経営手法に疑いを持っていた検察当局が家宅捜索を行ったが、そのニュースが流れた途端、膨大な個人株主がライブドアの株を売りこんだために、その株価低落は他のIT企業にも波及し、多数の個人株主の売り行動を引き起こしたが、18日には、ライブドア本体の粉飾決算疑惑が表面化し、個人投資家などから売り注文が殺到したことによって、株式売却件数が東京証券取引所の400万株に近接したため、東証は処理能力の限界に近づいたとして、取引時間を20分残し、取引を停止する緊急措置を発動した。処理能力が原因で取引が全面停止となったのは東証設立以来前代未聞のことである。
このように、ライブドアの堀江氏の逮捕は、日本の各界に直下型地震のような激しいインパクトを広げたのである。あらゆるメディアは堀江氏の逮捕について、またその後の状況について時々刻々とニュースを伝えているが、その論調は暴走した若者が犯罪者だったというトーンで共通しており、多くの人々は堀江氏が主導してきた錬金術の悪辣さや、同じく逮捕されたライブドアの4人の役員の行状や独房の設備など、興味本位の報道一色に塗りつぶされている感がある。
視聴率本位あるいは販売部数本位のメディアが、そうした興味本位の扁平な報道に走ることはいずれの国でも避けがたい現象ではあるが、ここで、この問題のもたらす意味についてコメントしておきたい。
一つは、日本のメディアの取り扱いぶりを報道する一部の外国メディアの論調に見られる「古い日本の逆襲か」という見方である。私見では、そうした解釈は二重の意味で間違っている。第一に、日本のメディアが興味本位で報道を続け、事態の表面的な一面しか捉えていないことであり、その表面的な一面の捉え方を「古い日本の逆襲」として増幅する海外メディアの誤りである。誤りの最大のポイントは、日本の社会はベンチャー企業の象徴する新しい世界とそれに対する旧世界という単純な二分法では理解できない、もっと複雑で総合的な構造になっているということである。その社会構造の中で、挑戦的なベンチャー企業群の果たしてきた役割は大きかったし、これからもますます大きくなると考えられる。ライブドアは、違法行為をしたという、どこの国でもよくある例にしか過ぎず、それが摘発されたからといって、検察当局の真摯な捜査の努力を旧世界の努力などと漫画のように描くことは極めて不適切である。第二に、ライブドア事件は、政治の世界にも影響を及ぼしている。それは、先述のように先の総選挙で小泉自民党執行部が堀江氏を支援したことが批判されているからである。自民党執行部が、堀江氏について十分な吟味もなしに人気を利用しようとしたことは批判の余地はあり、自民党執行部が反省すべき点は多いが、一般論として、ベンチャーの旗手を政治の世界で支援することは、むしろ望ましいことである。堀江氏個人に対する支援が軽率であったことと、新しい時代にチャレンジしようとする若い人々を政治的に支援することの正しさとは別問題であり、現象と本質は峻別されなくてはならない。
二つ目に、子供たちの憧れ偶像としての堀江氏が、法律違反の容疑者となったことは、新しい時代に希望を見出そうとする多くの青少年にとってまことに残念かつ悲しむべき出来事ではあるが、そのことで新しい時代の扉を開こうと挑戦する若いベンチャーたちの積極的な役割を否定したり過小評価してはならない。
社会経済あるいは人類世界は、技術や環境条件の変化に対応して時々刻々変化し適応し、変容し続けていかなくてはならない。それが人類社会の生命力の根源である。そのエネルギーを引き出し、社会を変えてゆく原動力となるのは「挑戦の精神」である。そうした挑戦の精神を否定するような影響が過度に広がらないことを願うものである。
