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Japan

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はじめに

【ヒコの生い立ち】

  ジョセフ・ヒコは1837(天保8)年8月、瀬戸内海に面した播州(兵庫県)の小宮という村で農民の子として生まれました。幼名は彦太郎、後に彦蔵とも名乗りました。父はかなり裕福でしたが、ヒコが生まれて間もなく他界し、数年後母はヒコを連れて隣村の浜田に住む吉左衛門と再婚しました。
  吉左衛門は大型回船の船頭で、妻を亡くしてから息子の宇之松と暮らしていました。人柄は誠実でやさしく、ヒコをわが子同様にかわいがり、寺子屋にも通わせました。
  義兄の宇之松は明るい性格で、かなり年下のヒコの面倒をよく見てくれました。16歳のとき同じく大型回船の船頭である叔父に弟子入りし、3年後には一人前の船乗りになりました。
  義父も義兄もそれぞれ航海から帰ると、いろいろな地方のおもしろい話や冒険談を聞かせるので、ヒコも自然に海へのあこがれを強めていきました。
  でも心配性の母は、「おまえは決して船乗りにならないでおくれ」と常々いっていました。ヒコには勉強をさせて、兵庫の商館で働かせたいと思っていたのです。

  1850(嘉永3)年の春、12歳のヒコは、四国の金毘羅神社に行く客を小型和船に乗せてきた母方のいとこにさそわれて、50日ほどの船旅に出ました。初めてのこの旅からは、生涯忘れられない感銘を受けたということです。
  しかし、帰ったとたん、不幸に襲われました。涙を流して帰宅を喜んだ母が、その日脳卒中で倒れたのです。義父も義兄も航海に出ていて留守。母は懐から家の鍵の束を取り出してヒコに渡すと、「これを大事にしなさい」といったまま意識を失い、数日後に亡くなりました。ヒコは駆けつけた叔母や近所の人に助けられて葬式を出しました。急報を受けて義父が戻ったのは、2週間後のことでした。


【大型回船に乗り組む】

  100日間の喪が明けて、義父はまた江戸への航海に出ることになりましたが、留守のあいだヒコをどうしようかと思い悩んだ末、本人にこうたずねました。
  「彦太郎、おまえは叔母さんとここに残って寺子屋に通うか、それとも私と一緒に船に乗って江戸に行くか。もし行くなら炊事係に雇ってやろう」
  打ちひしがれていたヒコは、江戸に行けると聞いて飛び上がって喜びました。母がいたら反対するだろうと後ろめたい気持ちはありましたが、海の魅力には勝てません。それに、母のいない家に残されるのはつらいことでした。ヒコは「ぜひ連れていってください」と熱心に頼みました。

  その年の秋、ヒコは義父が船頭を務める「住吉丸」に乗り組んで兵庫を出航しました。ところが、ここでまた運命のいたずらともいうべき力が働いたのです。
  船が難所の潮岬をまわったところで天候が荒れ模様になったので、熊野の港に避難していたときのこと、同じく江戸に行く新建造の僚船「栄力丸」が入港してきました。顔見知りの船乗りたちは、幼いヒコが乗り組んでいるのに驚き、事情を聞いて同情するうち、「新しいから速いし乗り心地もいいぞ」といって新造船に乗り移るようしきりに勧めたのです。義父は「足手まといになるから」と何度も断りましたが、強く勧められてついに同意し、ヒコは義父の船から「栄力丸」に乗り移りました。
  この「栄力丸」が時化(しけ・暴風雨)にあって遭難し、ヒコの運命が大きく変わることになったのですが、いまは先を急ぎましょう。


【アメリカ船に救助されて】

  帆柱も舵も失って漂流していた「栄力丸」の乗組員は、52日目にアメリカの貨物船に全員無事に救助され、サンフランシスコに渡りました。しかし、日本は鎖国政策をとっていたため、外国の地を踏んだ者は帰国することができません。ヒコは裕福な実業家に引き取られ、家族同様に愛されて学校教育を受け、アメリカの生活にとけこみます。勧められるままにカトリックの洗礼を受けてジョセフ・ヒコと名乗りました。

  ところが1859年の日本開国が決まると、望郷の念が抑えられなくなりました。それに、アメリカの進んだ政治のシステムや文明を経験したヒコは、その知識を生かして日本のために働くことが自分の使命であると感じたのです。でも、日本はまだキリスト教禁制を解いていないので、クリスチャンになったヒコは、帰化してアメリカ人となって来日するほかありませんでした。
  帰国の道を見つけるのもひと苦労でしたが、ようやくたどりついた上海で、たまたま新たに駐日公使として赴任するハリスと、神奈川領事ドールの乗る軍艦「ミシシッピー号」に同乗する幸運に恵まれました。そしてすぐ艦の中で、ハリスからアメリカ市民権の承認を受け、領事からは領事館通訳の職を提供されて、いよいよ開港直前の日本に帰ってくるのです。第1話は「ミシシッピー号」の入港からはじまります。



参考文献(全編共通)

“The Narrative of a Japanese” Vol.1,2 by Joseph Heco, edited by James doch. American-Japanese Pu. 1890
『アメリカ彦蔵自伝』1,2  中川努・山口修訳  平凡社  1964
『開国逸史  アメリカ彦蔵自叙伝』  土方久徴・藤島長敏共訳  明治文化研究会編(ぐろりあそさえて昭和7年原本)ミュージアムアム図書発行  平成10年
『クリスチャン  ジョセフ彦』近森晴嘉  アムリタ書房  昭和60年
『アメリカ彦蔵』吉村昭  新潮社  平成13年
『ヒコの幕末』山下昌也  水曜社  2007年
『開港場  横浜ものがたり』編集・発行横浜開港資料館・横浜市歴史博物館  1999年
『ペリー来航と横浜』編集・発行横浜開港資料館  2004年
『港都横浜の誕生』石井孝  有隣堂  昭和51年
『タウンゼンド・ハリス――教育と外交にかけた生涯』中西道子  有隣堂  平成5年
『ドクトル・ヘボン関連年表』石川潔著作・発行  1999年



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