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富士通アドバンストソリューションズ

Japan

English Garden

[第4話] 遠のいた帰国の夢

トマスはヒコをアメリカへ誘った

【船頭の万蔵を葬り、香港に到着】

  1852年3月13日、「セント・メリー号」はヒコたち日本人漂流民を故国に送るため、香港に向けてサンフランシスコ港を出航しました。途中、燃料と食料の補給のため、まずハワイ諸島を目指します。
  出航時の寒気もゆるみ、「セント・メリー号」の乗組員たちは親切で船旅は快適、「栄力丸」の水夫たちはすすんで仕事を手伝いました。
  気がかりなのは、数ヵ月前から体調をくずして軍医の診察を受けていた船頭の万蔵の健康状態です。はたして出航後病状は悪化し、4月3日、船がハワイ島のヒロ港に入港するのを待っていたかのように、万蔵は水夫たちに見守られて63歳の生涯を閉じました。遭難後も万蔵は棟梁としてよく水夫たちをまとめ、尊敬を集めていただけに、一同の衝撃は大きく、みな悲しみにくれました。帰国を目前にして力尽きたことが残念でした。
  「セント・メリー号」の乗組員たちも同情し、日本のしきたりにしたがって葬るよう手筈をととのえてくれました。遺体は急造の棺におさめられ、その晩は通夜が営まれました。
  翌日「栄力丸」の水夫たちは全員上陸して棺を運び、ヒロ最古の聖ジョセフ・カトリック教会の共同墓地に葬りました。土中に納めた棺の上には土を盛り、大きな石を置いて木の墓標を立て、みなひざまずいて祈りをささげました。

  5月22日、「セント・メリー号」は香港に着きました。10年ほど前のアヘン戦争(1840-42)の結果、香港はイギリスの支配下にあります。ここで物資を積み込んで2日後にマカオに行くと、港内にアメリカ東洋艦隊の旗艦「サスケハナ号」が停泊していました。圧倒されるほど大きな外輪式蒸気船で、オーリック司令官の旗がひるがえっていました。
  実はこの旗艦には、思わぬ事態が生じていました。もともと漂流民を日本に送りとどけて開国の交渉をすることを申し出たのはオーリック提督で、大統領の親書を携えて出発したのですが、途中不手際があって解任されてしまったのです。後を受けたペリー提督は自分の艦隊の整備に手間どり、本国からの出発が大幅におくれていました。
  また、漂流民をペリーに引き渡す任務を負っていた「セント・メリー号」は、別の急な任務が生じて出航命令を受け、漂流民を「サスケハナ号」に預けることになりました。
  ヒコたちは手荷物をまとめて「サスケハナ号」に移りました。艦に上がると、改めてその大きさに驚きました。しかも「セント・メリー号」のものよりずっと大きな大砲がいくつも並んでいます。
  「サスケハナ号」の乗組員たちは気性が荒く、なぜかいつも不機嫌で不親切なので、漂流民たちは戸惑いました。
  しかもヒコたちに与えられたのは、風通しの悪い下甲板の倉庫のような部屋です。夏の空気はよどんで蒸し暑く、息苦しいほどでした。ある夜、暑さにたえかねた仲間が甲板に出て寝ていると、見張りの士官が激しくののしり、靴で蹴って追いたてました。自尊心を傷つけられたヒコたちはトマスに相談しました。トマスは、「サスケハナ号」は長年中国で貧しい中国人労働者を粗略に扱ってきたため、日本人も同じように扱うのだろう、でも、ペリーが来るまで我慢するように、となだめました。


【つのる帰国への不安】

  ヒコたちは船荷の積み下ろしのために、ボートで陸に上がって作業することもしばしばありました。ある日数人の仲間と岸辺に立っていると、洋服を着た東洋人風の人が、「日本の方ですか」と遠慮がちに日本語で話しかけてきます。驚いていると、その人は「肥前の国の力松」と名乗り、「話したいことがあるから、近いうちたずねてくるように」といって自宅を教えて立ち去りました。そこで、ともかく話を聞いてみようと、翌日艦長の許可をもらい、揃って出かけました。
  力松の話によると、彼自身いまはイギリス国籍を持っていますが、同じ漂流民だということです。16歳だった17年前の1835年、4人で乗った小舟で遭難して全員フィリピンに漂着、イギリス船に救助されてロンドンに送られました。そこでドイツ人宣教師ギュツラフの世話になり、また別の場所で救助された3人の遭難者を加え、7人がイギリス船「モリソン号」で日本に送り返されることになったのです。
  しかし、日本に到着した「モリソン号」は、異国船打払令によって浦賀や鹿児島で砲火を浴びせられ、やむなく引き返したのでした。深く傷ついた力松は、それ以来ここに住んでいるといいます。最後に力松は「故郷に帰る望みは捨てたほうがいい。もしここに留まるなら、仕事や住まいのお世話をします」と申し出てくれました。
  みなショックのあまり、しばらく口もきけませんでした。自分たちも同じように砲撃を受けるかもしれない、しかし日本はオランダと中国(清国)とは貿易をしているから、中国船なら大丈夫だろう、自力で帰国する方法を見つけよう、と思うようになりました。

  さらに暑さが加わって、「サスケハナ号」での生活はますます耐えがたくなりましたが、ペリー艦隊は一向に姿を現しません。
  あるうだるような昼下がり、ヒコたちは陸に上がってお寺の前の木陰で休んでいると、僧侶が中に招き入れ、茶菓をもてなしてくれました。言葉はわからないものの、漢字による筆談で、かなり意思が通じるようになりました。
  そうするうち、「陸路で広東までいって役所に願い出て許可をもらい、南京から貿易船に乗せてもらえばよい」という話を聞きだしました。広東までの道はかなり困難なようですが、僧侶は「道中手形(旅券)」だといって赤い紙に大きな字を書いて渡してくれました。これを見せれば宿泊や食事の世話をしてもらえるということです。
  計画は即刻実行に移されました。道の厳しさを考え、体が頑健で多少お金のある9人が出発し、7人は残留です。どちらか先に故国に着いた方が、もう一方の無事を家族や友人に知らせることと決め、その晩は残るヒコたちを含め、全員力松の家に泊まりました。
  翌朝、あいにくの大雨の中を出発組は勇んで旅立ちました。ヒコたちは帰艦して士官に、「昨夜は日本人の招待を受けて泊った。あとの者もやがて帰る」と報告しました。
  ところが驚いたことにその夜、朝別れた9人が、下着とズボンというあわれな姿で対岸からボートで帰ってきました。話を聞くと、僧侶の手形のおかげで親切に道を教えてもらえたが、しばらくして斧や短刀を持った盗賊の一団に襲われ、身ぐるみはがれたとのこと。士官たちは特に詮索しませんでしたが、扱いはいっそうひどくなりました。
  2ヵ月ほどして、東洋艦隊の各艦に手紙や荷物を渡すため、アメリカから帆船がやってきました。その際に得た情報によると、ペリーは11隻の軍艦を引き連れて日本に向かうというのです。武力で開国を迫る意図は明らかで、みな顔色を失いました。



【再びアメリカへ】

  香港に到着して5ヵ月、痺れを切らしたのはトマスです。日本へ行っても上陸できない公算が大きく、それならばアメリカのゴールドラッシュの熱が冷めないうちにひと儲けしたいと思うようになりました。もう早くアメリカに帰りたくなって、親しくなったヒコをさそいました。トマスは、あと何年かすれば日本はきっと開国するだろうから、それまでヒコにアメリカで英語や西洋の学問を学ばせ、日本のために働けるようにしてやりたいと考えたのです。無邪気で聡明なヒコに兄のような愛情をおぼえ、自腹を切ってヒコも連れていこうと思ったのでした。
  しかしヒコはさすがに仲間と離れてひとりでアメリカに行くのは心細く、ためらいました。するとトマスは、「誰かが一緒なら行くか」と重ねてたずねました。
  結局、カメ(亀蔵)とトラ(治作)が一緒に行きたいといったのでヒコも同意し、トマスはさっそくオーリックの許可をもらいました。するとその話を聞いたほかの仲間もみなアメリカに行きたいといいだしました。でもトマスには、全員の船賃を出す余裕はありません。またオーリックに相談すると、「それは断じて許さない」と一喝されました。
  気まずい空気になりましたが、トマスの離職と、ヒコたち3人のアメリカ行きはもう決まったことで、いまさら元にもどすことはできません。わだかまりは程なく解けたものの、ヒコたちは後ろめたい気分のまま仲間に別れを告げてマカオに行き、イギリスの老朽船「サラ・フーバー号」でアメリカに向いました。




参考文献

“The Narrative of a Japanese” Vol.1,2 by Joseph Heco, edited by James doch. American-Japanese Pu. 1890
『アメリカ彦蔵自伝』1,2  中川努・山口修訳  平凡社  1964
『開国逸史  アメリカ彦蔵自叙伝』  土方久徴・藤島長敏共訳  明治文化研究会編(ぐろりあそさえて昭和7年原本)ミュージアムアム図書発行  平成10年
『クリスチャン  ジョセフ彦』近森晴嘉  アムリタ書房  昭和60年
『アメリカ彦蔵』吉村昭  新潮社  平成13年
『ヒコの幕末』山下昌也  水曜社  2007年
『開港場  横浜ものがたり』編集・発行横浜開港資料館・横浜市歴史博物館  1999年
『ペリー来航と横浜』編集・発行横浜開港資料館  2004年
『港都横浜の誕生』石井孝  有隣堂  昭和51年
『タウンゼンド・ハリス――教育と外交にかけた生涯』中西道子  有隣堂  平成5年
『ドクトル・ヘボン関連年表』石川潔著作・発行  1999年
『伝記  ペリー提督の日本開国』サミュエル・エリオット・モリソン  座本勝之訳  双葉社  2000年(今回より追加)
『漂流――ジョセフ・ヒコと仲間たち』春名徹  角川書店  昭和57年(今回より追加)



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