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[第2話] 漂流

栄力丸は激しい時化に見舞われた

【栄力丸に乗り移って】

  開国の年より9年ほど前のお話になります。(「はじめに」を参照)
  母を亡くしたヒコは、13歳になった1850(嘉永3)年9月、義父が船頭を務める「住吉丸」に乗り組んで江戸に行くことになりましたが、途中でふとしたことから、建造されたばかりの僚船「栄力丸」に乗り移りました。ここでもヒコはみんなから大事にされ、快適な航海を続けました。
  「栄力丸」は「住吉丸」と大きさがほぼ同じで、乗組員は60歳の船頭の万蔵から最年少のヒコまで17人。ヒコは「栄力丸」の水夫の中でいちばん若い22歳の炊(かしき・炊事係)の仙太郎の手伝いとして働くことになりました。
  真新しい「栄力丸」はたしかに揺れが小さく船足も軽く、「住吉丸」より2週間も早く品川沖に着きました。荷の積み下ろし作業が一段落すると、ヒコは仲間の水夫と艀(はしけ)で隅田川の河口に入り、船着場から上陸しました。
  遠くに江戸城の望楼が見えます。浅草寺を訪れると、道の両側にはたくさんの店がびっしり並んで、驚くほど大勢の人が行き交っています。大道芸をやっている軽業師や手品師もいます。ヒコは大都会のあまりの賑やかさに圧倒され、先輩の腕にしがみつくようにして歩きました。
  しばらくして出航の準備がととのい、「栄力丸」は「住吉丸」の到着を待たずに品川沖を離れました。途中、浦賀の港でまた荷を積み、いよいよ兵庫に向かいます。天気はよく、風も追い風で、船は白い帆をいっぱいに張って、ぐんぐん速度を上げました。
  初冬のこの季節に江戸から大阪に向う船は、遠州灘を横切って、いったん伊勢の海に入るのが慣わしでした。天候が急変することが多いので、伊勢の港で日和や風の状況をたしかめてから、最大の難所とされる潮岬(しおのみさき)を越えるのです。
  でも、どうみても好天気が続きそうに思えたので、船頭の万蔵は遠州灘を一気に突っ切ることにしました。ほかの船も万蔵と同じ判断をしたのか、伊勢に一時寄航する船は見当たりません。同じ方向に行く船は大体一緒に行動することが多いのですが、このときは魔が差したというのか、200隻以上の船が危険なコースを選んだようです。



【時化(しけ)にあう】

  しかし、翌日の夕方になると風が次第に強くなり、雨が激しく降りはじめました。船は次々と帆を降ろしました。夜半過ぎ、ヒコは激しい揺れに目を覚まし、外をのぞいて息をのみました。黒い山のような大波が押し寄せてきたのです。船は大きく揺り上げられ、次には波の谷間に突き落とされました。水夫たちもヒコも、けんめいに祈りました。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」
「かみさま、どうぞお助けください」
  船はすでに舵をもぎ取られ、あちこちが壊れて浸水が始まっていました。船を軽くするため、貴重な積荷が次々に投げ捨てられます。横倒しになるおそれがあったので、ついに帆柱も切ることになりました。斧で切られた帆柱は音をたてて倒れ、海に落ちて流れていきました。ヒコは心細く、義父の船を離れたことを心から悔やみました。
  やがて天気は回復したものの、帆柱のない船にはもう航行能力がありません。海面にはたくさんの漂流物が浮かび、多くの船が遭難したことを物語っています。幸い「栄力丸」は浸水の箇所も修理され、沈没の恐れはなくなりました。それに、1年分くらいの食料も水もあるので、さしあたり生命の危険はありません。
  万蔵の呼びかけで水夫たちはみな集まって命の助かったことを感謝し、海水で身を清めて神に祈りをささげました。動転していた水夫たちは平静をとりもどし、みんなの心がまた一つになりました。


【漂流がはじまる】

  11月1日から「栄力丸」の漂流が始まりました。水夫たちは気をとりなおして積荷のクルミから油をしぼったり、天気のよい日は魚釣りをしたりしました。サバやサワラなどがよく釣れて、炊見習いのヒコは刺身にして食卓に出し、残りは塩漬けにして保存しました。
  積荷には千両箱もありました。みな好奇心にかられて箱を開けてみましたが、山吹色に光る小判がこのときは何とむなしく目に映ったことでしょう。
  すぐ近くに島影が見えてかすかな希望を抱いたり、ひどい時化に苦しめられたりするうち、50日近く過ぎました。新造船とはいえ、そのころには船全体が不気味にきしみはじめ、いつまでもつかと、不安がつのりました。
  漂流から52日目の12月21日、朝早く甲板に出て祈っていた水夫が目を上げると、水平線上に岩か城のようなものが見えました。水夫は仰天して船室に転がり込んできました。
「おーい、城が見えるぞ!」
  みな急いで甲板に出てみると、もうそのときには真っ黒な船体に白い帆を張った船が水平線上に姿を現していました。船はぐんぐん近づいてきます。大きな船です。
  数分後にはこちらの船と並び、人影が見えるようになりました。でも、「栄力丸」に気づいた様子はありません。
「おーい、おーい」
「たすけてくれー」
  すると黒い船の人も気づいたらしく、人影がこちらに集まってきました。そうするうち、船はゆっくり船首をまわし、速度を落として停止しました。欄干にもたれている人たちが、しきりに手招きをしています。
  ただちに「栄力丸」から艀が下ろされ、まず万蔵と最年少のヒコが乗り、続いて水夫たち全員が米や衣類などわずかな身の回りのものを持って乗り込みました。2人の水夫が櫓をつかみ、黒船に向ってこぎはじめましたが、波に上下するばかりで距離は縮まりません。
  そのうち、黒船が動きはじめました。見捨てられたのかと半ば絶望して見つめていると、船はかなり進んだところで船首を艀の方に向けなおしました。今度は逆風をついて近づいてきます。船の上では異様な顔つきの男たちが数人、こちらを見つめています。
  船は艀に覆いかぶさるように、すれすれに寄ってきて停止しました。へさきに立っていた男が艀に向って綱を投げ、水夫はそれをつかんで艀の杭に結わえつけました。艀が船に引きつけられていきます。呆然と見ていた水夫たちは、我にかえって喚声を上げました。
「帆を揚げたまま逆風の中を進んできた!」
「海のど真ん中でぴたりと停止するとは!」
  黒船の見事な芸当に、みな度肝を抜かれたのでした。
  万蔵に続いて水夫たちは次々と綱を伝って船腹をよじ登りました。ヒコは甲板に下りると「助かった!」という思いに胸が熱くなり、ひざまずきました。上がってきた水夫たちも、みな甲板にひれ伏して泣き出し、何度も頭を下げています。
  こうして「栄力丸」の乗組員17人は、全員無事に救助されました。



参考文献(全編共通)

“The Narrative of a Japanese” Vol.1,2 by Joseph Heco, edited by James doch. American-Japanese Pu. 1890
『アメリカ彦蔵自伝』1,2  中川努・山口修訳  平凡社  1964
『開国逸史  アメリカ彦蔵自叙伝』  土方久徴・藤島長敏共訳  明治文化研究会編(ぐろりあそさえて昭和7年原本)ミュージアムアム図書発行  平成10年
『クリスチャン  ジョセフ彦』近森晴嘉  アムリタ書房  昭和60年
『アメリカ彦蔵』吉村昭  新潮社  平成13年
『ヒコの幕末』山下昌也  水曜社  2007年
『開港場  横浜ものがたり』編集・発行横浜開港資料館・横浜市歴史博物館  1999年
『ペリー来航と横浜』編集・発行横浜開港資料館  2004年
『港都横浜の誕生』石井孝  有隣堂  昭和51年
『タウンゼンド・ハリス――教育と外交にかけた生涯』中西道子  有隣堂  平成5年
『ドクトル・ヘボン関連年表』石川潔著作・発行  1999年



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