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私の見た藤田田さん
~顔は、浪花節でユーモリスト~
日本マクドナルドの創業者、藤田田さんが他界された。筆者は、数多くの経営者にインタビューしてきたが、藤田さんほど魅力のある人はそう多くはいなかった。そこで今回は、藤田さんを偲んで、その素顔の一端を書かせていただく。
正直いって、ここ1~2年のマクドナルドの業績は芳しいものではなかった。株式上場後、多額の創業者利潤を手にしてリタイアしたこともあって、最後は、「美味しいところどりして逃げた」と揶揄する向きもあった。しかし、誰がなんといおうと、筆者は藤田さんは、「昭和の名経営者」ひとりだったと、いまなお強く思っている。
そんな思いから、藤田さんがリタイアした後の昨年10月に上梓した「元気な会社の元気な経営」(太陽企画出版)では、「今、学びたい藤田田の『人情と科学の経営』」と題した章を設けて、筆者の目でみた氏の経営哲学を紹介させていただいた。
藤田さんは、「勝てば官軍」「一強百弱」と、強者の論理を強調して発言していたこともあって、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする経営者だった。合理性ばかりを重んじる経営者と思われがちだったが、その実は浪花節そのものだったと、藤田さんの元で長年働いてきた社員は口をそろえていう。
藤田さん自身、「昔は、マクドナルドではなくて『また、怒鳴る』」やといわれるぐらい、怒鳴った」という。たしかに、創業の頃は豪腕型のスタイルをとっていたようだが、その後は違う。自前で育てた人材を、言葉は悪いが、実に巧みに組織化して事業活動を行うのが藤田流だったと筆者は理解している。
藤田さんにインタビューした折に、「イメージとは違ってワンマンではないのですね」と水を向けると、「一人で商売はできないからね。人を大事にしないと事業は伸びません」と答えて、笑みをもらされたことを思い出す。
藤田さんはユーモリストでもあった。
あるセミナーで席を同じくしたとき、聴衆のひとりが、「藤田さんはハンバーガーがお好きですか」と聞いたのだが、その答えは意表を突いたものだった。
「人間は、12歳までに食べたもので味覚は決まってしまうものです。子供の頃の私は大阪に住んでいましたので、うどんばかり食べていました。だから、ハンバーガーは食べずにきつねうどんが好物です」
本当はどうだったのか。マクドナルドのハンバーガーを誰よりも愛し、その味にこだわりを持った人だったと、マクドナルドの幹部社員のひとりはいう。
現役社長のころの藤田さんは、毎週土・日には、日本全国どこかのマクドナルドの店に顔をだし、客の立場でハンバーガーを買って食べていた。その理由を聞くと、次のような答えが返ってきた。
「ビジネスというのは現実の上に成り立っているのです。オフィスの机の上では何も起きないのです。本部にいては分かりません。お客さんがどういう反応をしているのかは、現場に行って自分の目でたしかめ、また、ストアマネージャーに聞いてみないと分からないじゃないですか。理想を掲げるのはいいが、それで終わっていてはいけません。現場を見た上で、理想に近づけるためにどうしたらいいのかを考えるのが経営です」
この話には余談がある。
不意に店舗に顔を出すのが藤田さんのスタイルで、同じ地域で何店も訪ねるのを楽しみにされていたのだが、これが途中からうまくいかなくなったのだ。最初の店は不意打ちできるのだが、そこから周囲の店に、「社長がきている」と警戒警報がだされて、普段の姿が見られなくなって面白くなくなったというのだ。その後は、競合店の店に顔を出して、根掘り葉掘り聞くことに楽しみを見出したと聞く。業界で有名人の藤田さんの来店とあって、競合店の店長クラスも、質問には快く応じてくれたというから面白いではないか。
著者プロフィール
疋田 文明(ひきた ふみあき)
有限会社 ABO
経営コンサルタント・元気塾主宰- 日本交通公社(JTB)勤務後、中小企業経営者を対象とした各種セミナーの企画・運営会社等々を経て、1979年に竹村健一未来経営研究会を企画設立し事務局長に就任。1986年に竹村健一氏のもとから独立。現在、フリーランスのライターとして活躍中。
http://www.hikita10.jp
[2004年5月17日 掲載]
- 第89回 BSE騒動にも負けない松屋フーズの元気な経営
- 第90回 私の見た藤田田さん
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