維新の変革期を駆け抜けた「からくり師」 大野弁吉

「からくり師」といえば「からくり儀右衛門」こと田中久重が有名だが、同時代の金沢に儀右衛門と肩を並べる「からくり師」がいた。大野弁吉(おおの べんきち)である。
そのからくり細工は、木工、金工を始め、花火、ガラス、電池式エレキテル、灯油ランプ、測量計、自動噴水装置、果ては写真術まで、多岐にわたっていた。
自筆の著書に網羅された科学知識からは、優れた細工の腕を持つからくり師というだけでなく、第一級の技術者であったことがうかがえる。
加賀の平賀源内

加賀百万石の城下町金沢。その外港 大野に、文政13(1830)年4月、ひとりの人物が訪れた。「加賀の平賀源内」とも称されたからくり師、大野弁吉である。
弁吉は、本名を中村屋弁吉といい、享和元(1801)年、京都五条通りに住む羽子細工師の子として生まれた。別に薫、のちに号を一東(いっとう)、あるいは鶴壽軒(かくじゅけん)とした。幼少のころから非凡な才能をあらわすとともに、20歳のころ長崎に出て、オランダ人に西洋医学や理化学、天文学などを学んだという。その後、対馬から朝鮮に渡り、日本にもどってからも紀伊国などに赴き、その間、馬術や砲術、和算、暦学を究めた。
なお、朝鮮渡航については、近年発掘された文献から、対馬藩主宗氏との関係により、釜山の倭館に滞在した経緯が紹介されている。
やがて各地の遊学を経て京都に帰った弁吉は、加賀国石川郡大野村出身の中村屋八右衛門の娘うたと結婚。その後、妻の実家があった大野に移住する。それが、冒頭の文政13年のことである。以後、明治3(1870)年、70歳で亡くなるまで、醤油造りと北前船の寄港地として知られたこの静かな港町が、彼の「終(つい)の住み処(か)」となったのである。
なお、加賀移住の理由は定かではないが、京を追われたのだとも、江戸に向かう途中だったのだとも伝えられている。
このこととも関連して、弁吉の20代の数年間の動向は、実はよくわかっていない。例えば、長崎時代に関しては、シーボルトとの接触を指摘する説も根強く、かつて永井柳太郎(石川県出身の学者・政治家)が提唱した、シーボルトの従僕 弁五郎=弁吉説なども、しばしば注目されてきた。これは、シーボルトの従僕(和蘭人部屋付並蘭館出入日雇の源之助、藤七、茂三郎、儀八、弁五郎、熊吉)のうちの「弁五郎」が、弁吉と同一人物であるという説である。
とはいえ、同説は、残念ながらいくつかの証拠により、近年ではほぼ否定されるに至っている。つまり、長崎から紀伊までの弁吉の事跡は、いまだ「謎」の部分がほとんどなのである。
また、大野での弁吉の住居は、伝承によれば「小さなあばら屋に起臥して、赤貧に甘んじ、別に工場らしいものもなく、特別な機械器具もなかった」という。
しかし、「文久弐年戌十月 大野町領囲地之図」のなかには、「中村屋弁吉」と名の記された敷地割図があり、これによれば弁吉の住宅敷地は、十四間二分に六間六分の長方形で、周辺の住宅の敷地に比べても2~3倍はある立派なものであった(一間は約1.82メートル)。
ちなみに、居宅の場所は、亀齢町(現在の大野7丁目)日吉神社付近で、同地一帯は現在は山林となり、住居跡とされる地には石碑が建てられている。
一方、近隣の港町宮腰(みやのこし)の豪商として、全国的に知られる銭屋五兵衛は、弁吉に援助を与えつつ、天文・測量や航海術などさまざまな新知識を得、航海や交易に大いに活用したとも伝えられている。近年も、銭屋五兵衛が、朝鮮・中国・ルソンばかりでなくオーストラリアのタスマニア島まで進出していたという伝承が脚光を浴びており、弁吉との関連が取りざたされることも少なくない。
しかし、その真偽のほどは、現地調査や海外資料の発掘など、かなりの検討を要することだろう。いずれにせよ、弁吉が海外へ渡航したと考えられるのは、加賀へ来て銭五と交渉を持つ以前のことであり、それ以前に銭五と関係していたという確証は、今のところ得られていないことを付け加えておきたい。
からくりと細工

弁吉は、さまざまな「からくり」や数多くの「工芸細工」を残した。弁吉の細工には、「三番叟(さんばそう)」に代表されるからくり人形や各種の根付、点火器(ライター)などの機械細工がよく知られ、その技術は、木工、金工、象牙細工、絵画、蒔絵、焼物、さらには花火やガラスなど、さまざまなジャンルにわたっている。
これらの作品の中には、例えば、梅の実ほどの木彫蛤貝の中に宮殿を刻み、その殿中で囲碁をする人物を彫ったものあり、内部に緻密な骸骨を納めた達磨(だるま)の根付ありと、実に多彩でウイットに富む。
モノづくりにともなう伝説も豊富で、あるとき大黒の木像を頼まれたものの、気に入ったものができず、約束の期限が来てしまう。注文主が督促したところ、弁吉は傍らの袋を指し、満足な作はひとつもないが、すべて水の上を渉り歩くようになっているので、もしお気に召したものがあったなら、自由に選んで持って行ってくれとのこと。その注文主が言葉通りに試みたところ、すべての大黒が群をなして水上を走ったという。弁吉らしさが目に浮かぶエピソードである。
ジャーナル最新のテーマ
お客様の声をお聞かせください

富士通ジャーナルに掲載している記事やコンテンツについてのご意見・ご感想を、ぜひお寄せください。
お寄せいただいたご意見・ご感想については、富士通からの回答をお約束するものではありません。ご了承ください。
なお、富士通からのご回答を必要とするお問い合わせについては、
富士通ジャーナルに関するお問い合わせをご利用ください。





