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「類体論」を確立した現代数学の巨人 高木貞治

「西から本がこなくなっても、自分で何かやるより仕方が無い」

明治34年、ドイツ・ゲッチンゲンから帰朝した貞治は、東京帝国大学理科大学数学科の助教授に任ぜられ、代数学の講座を担任する。そして明治36年、貞治は「クロネッカーの青春の夢」についてゲッチンゲンで得たひとつの解答を提示する。それは、「クロネッカーの青春の夢」の予想を、基礎体がガウスの数体(有理数体に虚数単位を添加した数体)の場合に、肯定的に解決することができる、というものだった。貞治はこのガウス数体の虚数乗法論に関する論文を『東京帝国大学理学部紀要』に発表し、理学博士の学位を得る。これが日本での数学の博士論文第一号である。

この間、貞治は大学近くの文京区本郷曙町に家屋を借り、明治35年に家主の紹介で谷国之助(くにのすけ)の娘・としと見合い結婚をする。この頃の貞治は、鼻眼鏡をかけてピンとはねたカイゼル髭(ひげ)をたくわえ、背広と蝶ネクタイは当時有名な銀座・山崎というテーラーで作らせていた。いわゆる洋行帰りの典型的なハイカラさんだったようだ。そして、帝大教授として大学と家を往復する平穏な日々を過ごす。

それから約10年後の大正3(1914)年7月、第一次世界大戦が勃発。同年8月、日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告した。これが貞治にとって大きな転機となる。

この頃、貞治は毎日判で押したように規則正しい日程を繰り返していた。大学で代数学の講義を終えると、真っ直ぐに帰宅し、晩酌付きの夕食をとり、仮眠。真夜中に起きてドイツを中心とした世界的な数学者の論文を手当たり次第読破する。明け方に再び仮眠し、当日の講義のために大学に向かう、という毎日だった。

だが、第一次世界大戦によって、日本はドイツからの最新の研究論文が入手できなくなってしまった。これまで、ドイツからの文献に多くを頼っていた貞治は、嫌応なく、自分自身で問題を提起し、自らの発想で考えて解決していかなければならなくなり、思索に耽(ふけ)らざるを得なくなったのだ。そのときの心境を後年貞治はこう告白する。

「西から本がこなくなっても、学問をしようというなら、自分で何かやるより仕方が無いのだ。恐らく世界大戦が無かったならば、私なんか何もやらないで終わっていたかも知れない」(『近世数学史談』「回想と展望」より)

貞治は学位論文で「クロネッカーの青春の夢」を部分的に解決した。しかし、第一次世界大戦以後、ドイツではアーベル拡大体に制限をつけた「類体」を定義し、さらに特別な性質を持つ「絶対類体」を考える方向で「クロネッカーの青春の夢」の考察が進められていた。

これに対して高木は、「類体」を制限せずに扱うことを進め、ついに、任意の「アーベル拡大体」は「類体」であることの証明に成功する。そして「アーベル拡大体」の「類体」としての性質を検討し、ヒルベルトらの類体の概念を一般化することで「クロネッカーの青春の夢」を解決したのである。

貞治はこれを130ページにのぼるレポートにまとめ、「相対アーベル体の理論について」と題する論文を、大正9(1920)年『東大理学部紀要』に発表。また同年9月にフランス領ストラスブールで開催された国際数学者会議(ICM)に出席し、論文の大要を報告した。さらに大正11年には「任意の代数体に於ける相互法則に就いて」と題する第二論文を発表。これによって「タカギ類体論」は樹立する。かくして、1850年代以来およそ100年もの間、未解決のまま、多くの数学者の頭を悩まし続けてきた難問はここに完全に解決したのである。

その快挙を、ハルレ大学のヘルムート・ハッセ教授が1925年のドイツ数学者協会の年会で大きく紹介した。さらにハッセは「タカギ類体論」を詳細に検証し、この理論が正しいことを証明してみせたのだった。

こうして高木貞治は日本で最初の世界的な数学者として内外から脚光を浴び、日本の数学界の地位を一挙に世界のトップクラスに引き上げたのだ。日本が明治維新後本格的に西洋の数学を取り入れてから、わずか50余年後の出来事である。

日本人の独創性を世界に証明した「タカギ類体論」

「タカギ類体論」は、代数学的整数論における最も深くかつ美しい理論として注目され、多くの数学者の研究対象となった。そして1927年には、ハンブルク大学のエミール・アルチン教授によって補完され、さらに完璧な類体論が構築された。類体論の生みの親・高木貞治は、晩年の主著『代数的整数論』の序文の中で、その後の類体論の研究について、こう証言する。

「著者が、1915年以来、日本数学物理学会記事に断片的に掲載した数編の論文を綜合して、1920年、東京帝国大学理学部紀要に類体論の全貌を発表してから、既に四半世紀の星霜を経た。その間、特に最初の10年において、ドイツの少壮数学者ハッセおよびアルチンによって、類体論の整理簡約が行われたが、就中(なかんずく)アルチンの相互律の発見は類体論への喜ばしい貢献であった。(中略)

類体論の成果は、基本定理・分解定理・同型定理・存在定理、いずれも極めて簡単明瞭であるのに反して、その証明法は、上記諸家の努力にも拘(かかわ)らず、今なお紆余曲折を極め、人をして惓厭(けんえん)の情を起こさしめるものがある」と。

高木貞治はその後、ノルウェーの数学者アーベル没後100年記念にあたる1929年にオスロ大学の名誉博士の称号を受けた。また1932年には数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞の第1回選考委員に選出され、さらに1955年に開催された代数的整数論国際シンポジウムでは名誉議長に指名されるなど、数学界の牽引者として世界の注目を集め続けた。

物理学・天文学・生物学・化学など、すべての科学分野において、数学は欠くことができない思考ツールである。科学的思考の基盤を担う数学の世界で、高木貞治は極めて独創的な数学理論を樹立した。高木貞治が導出した「タカギ類体論」は、日本人のオリジナリティの高さを世界に対して証明した、数学史上の金字塔にほかならない。

写真資料 : 高木貞治先生生誕百年記念会編『追想高木貞治先生』高木貞治先生生誕百年記念会/東京都立中央図書館/東京大学図書館

参考文献 : 高木貞治『近世数学史談』岩波文庫/高木貞治『数学小景』岩波現代文庫/高木貞治『数学雑談』共立出版/高木貞治『解析概論』岩波書店/高木貞治『代数的整数論』岩波書店/高木貞治『数の概念』岩波書店/高木貞治『代数学講義』共立出版/高木貞治『初等整数論講義』共立出版/彌永昌吉監修『数の直観にはじまる』工作舎/吉岡勲『道遙けく』大衆書房/下村寅太郎『明治の日本人』北洋社/常磐敬一ほか『日本科学者伝』小学館/富田仁編『日本の創造力10』日本放送出版協会/高木貞治先生生誕百年記念会編『追想高木貞治先生』高木貞治先生生誕百年記念会/本田欣哉「高木貞治の生涯」日本評論社(『数学セミナー』1975年1~6月号所載)

[2009年5月1日 公開]

[FUJITSU飛翔 No.47(2002年11月刊)より転載]

著者プロフィール

上山 明博(うえやま あきひろ)
1955年生まれ。サイエンス・ライター。科学と文学の垣根を越え、広範な分野で執筆活動を展開。主な著書に『科学を愛したサル』『アトムの時代』『ビジュアル・テレコミュニケーション入門』などがある。

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