Fujitsu The Possibilities are Infinite

 

  1. ホーム >
  2. 富士通ジャーナル >
  3. 社会人雑学帖 >
  4. 日本人のオリジナリティ探訪 >
  5. 20世紀の錬金術を主導した物理冶金学者 特殊合金のパイオニア 増本 量

20世紀の錬金術を主導した物理冶金学者
特殊合金のパイオニア 増本 量

人生の岐路となったコバルトの「増本変態」

ところで、コバルトの変態を発見する2年前、増本は大学卒業と同時に田舎の知人の紹介で結婚した。しかし、新婚にもかかわらず連日家にも帰らず、研究所に泊まり込みで、実験の詳細なデータをとることに追われる毎日を過ごしていた。

増本が存命中に刊行された『増本量伝』(増本量先生伝記刊行委員会編、誠文堂新光社、1976年)によれば、この頃、久しぶりに帰宅した増本は、新妻に向かって切々とこう語っている。

「僕は今、自分の独力によって世界的な大発見をしようとしている。いや発見はもうできたのだ。コバルトの変態という、世界中の学者がうっかりしてみんな見落としていたこと、それを実験で見つけたのだ。これは本多先生も、帰ってこられたらびっくり仰天するような大発見だ。

けれどもちゃんと論文にまとめて発表してしまうまでは、世界中の誰が一歩先を越すかわかったものではない。世の中にはそういうことで泣かされた先例がよくあるのだ。それで論文発表までは夜に日をついで、とても急がなければならん。データ集めと実験とのために、僕はあんまり家に帰ってくるひまはないと思って欲しい。妊娠している貴女をこんな目に遭わせるのは、僕としては本当は気がかりなのだが、これは増本量の全生涯に残る研究だからひとつ協力してください」と言って頭を深々と下げたという。いかにも大卒早々の新米研究員らしい、まっすぐな意気込みが伝わってくる。

大正13年10月26日、本多所長は洋行を終え、研究所に戻ってきた。それを待ち構えていた増本は、早速その詳細な測定結果を本多所長に報告。すると所長は、「コバルトが変態する? これは面白いわなあ、早く論文にまとめるわなあ」とすすめた。

かくしてその翌年、増本はコバルト変態の論文を英文と邦文で発表。増本によるコバルト変態の発見に、世界の金属学者が瞠目した。以来学界では、コバルトの変態は「マスモト・メタモルフォーシス(増本変態)」と呼ばれている。

なお、コバルトの変態を発見したこの年の12月、増本は助教授になり、翌年正月には長男剛(のちに電気磁気材料研究所理事長)が誕生している。増本が妻に語った言葉通り、増本変態はまさに彼の全生涯に残る研究であり、人生を大きく左右するものとなった。また増本変態の発見は、その後のスーパーインバーをはじめとするさまざまな特殊合金発明の端緒ともなるのである。

スイス製時計を凌駕する「スーパーインバー」の発明

1896年、スイスのチャールズ・エドワーズ博士によって、鉄63.5%とニッケル36.5%の合金が、温度変化による膨張率が鉄だけのものよりはるかに小さいことが偶然、発見された。エドワーズ博士はこれをインバー(不変鋼)と命名し、この功績によってノーベル物理学賞が授与されている。それは19世紀末に起きた金属物理学上の最大の発見のひとつであり、金属研究に携わる者にとって周知の史実であった。

インバーの発明に対してノーベル賞が与えられたわずか7年後の昭和2(1927)年。増本教授は、インバーよりはるかに膨張係数の小さな、鉄63.5%、ニッケル31.5%、コバルト5%の三元合金を発明する。インバーの膨張係数が鉄の10分の1であるのに対し、その膨張係数は100分の1以下とほとんどゼロに近い値を示すなど、その特性はインバーをはるかにしのぐものであった。増本は、これをスーパーインバー(超不変鋼)と命名し、国の内外で特許を取得する。

さらに彼は、昭和13年に不銹(ふしゅう)不変鋼ステンレスインバーを、昭和19年にはコエリンバーを相次いで発明。増本の手による数々の画期的な新材料は、精密機器の性能を飛躍的に向上させ、なかんずく世界最高品質を誇るスイス製腕時計を日本が凌駕する大きな要因ともなったのである。

エネルギーの法則にもとづく増本式健康法の実践

多くのニューマテリアルを世に送り出した彼が発明によって得た特許は、国の内外合わせて94件にものぼった。その増本の輝かしい研究成果は前述した通り、コバルトの増本変態の発見に始まった。

じつは増本変態の発見の直後、不眠不休で研究に没頭したために、無理がたたり、当時不治の病と言われた肺結核に倒れ、一時は生死の境をさまよった経験がある。以来、無理に無理を重ね、日夜を問わない研究生活から一転、まるで人が変わったように、養生に細心の注意を心がける生活に努めるのだった。

それなくばその後の発明もなく、今日のわれわれの生活に欠くことのできない時計をはじめ多くの精密機器の性能向上も望めなかったかもしれない。

結核菌の作用が相当にエネルギーを消耗するものであることを身をもって知った増本は、その後の人生は、つねに結核菌との戦いであると考え、その具体策を練り上げる。そして増本は「結核菌によって消耗されるエネルギーの補給に務め、また不必要なエネルギーの消耗を防ぐために、過度の運動を極力しないという大原則を守ることが肝要である。それを完璧に実践さえすれば結核菌との戦いは不敗であり、やがて病は全快するはずである」との結論に達した。

こうした彼の改心ぶりは、不治の病の床から社会復帰した者にとって、当然と言えるものだろう。しかし、その徹底した実践の仕方は、彼の実験と同様、尋常ではなかった。増本本人の言によれば、一事が万事このようなものだったという。

「私は家の中を歩きまわるときも、襖や障子は家人に開けさせて自分の手では決して開けなかった。また、私は妻や子供とも会話をしなかった。これは相当難しいことであったが、声帯に力を入れて声を発することは、肺の病巣を動かし、相当のエネルギーの消耗となり、結核菌に協力することにほかならないと思われた」(前出『増本量伝』)

生死の境をさまよい、奇跡的に生還した増本は、改めて自己の精神も肉体も、そして生命力も、きびしい物理学上のエネルギーの法則にあることを認めざるを得なかった。そして、人間の活動とエネルギーの消耗、疲労と休養の間のさまざまな現象と原理を追求し、「増本式健康法」なるものの確立を確信する。

増本はよく、「金属が物理学上のエネルギーの法則にあるように、人間もエネルギーの法則のもとにある。それを知って自己の精神と肉体を完璧に管理すれば、誰だって天寿をまっとうできる」と豪語した。なお、天寿とは100歳を意味して言ったという。

金属材料研究所所長、電気磁気材料研究所所長、日本金属学会会長などを歴任し、二十世紀の錬金術を主導し続けた増本博士は、昭和62(1987)年8月12日、電気磁気材料研究所の所長室で執務中に倒れ、そのまま冥土に旅立っていった。死因は、胸部動脈瘤(りゅう)破裂。天寿まであと8年と迫る、92年の完璧に近い生涯であった。

写真出典 : 『増本量伝』増本量先生伝記刊行委員会編、誠文堂新光社、1976年

[2009年3月2日 公開]

[FUJITSU飛翔 No.38(2000年5月刊)より転載]

著者プロフィール

上山 明博(うえやま あきひろ)
1955年生まれ。サイエンス・ライター。科学と文学の垣根を超え、広範な分野で執筆活動を展開。著書に『科学を愛したサル』『アトムの時代』『ビジュアル・テレコミュニケーション入門』などがある。

ジャーナル最新のテーマ

今月のテーマ:新世代ERP 迅速な経営判断と戦略展開を支援します 続きを読む


今月のアンケート 最終集計結果公開中 目的に応じて分析・活用できるシステム環境が望まれる 2009年11月24日集計 気になる結果は?


お客様の声をお聞かせください

富士通ジャーナルに掲載している記事やコンテンツについてのご意見・ご感想を、ぜひお寄せください。

ご意見・ご感想フォーム いただいた、お客様の声


お寄せいただいたご意見・ご感想については、富士通からの回答をお約束するものではありません。ご了承ください。
なお、富士通からのご回答を必要とするお問い合わせについては、
富士通ジャーナルに関するお問い合わせをご利用ください。