世界に知られた才能教育 スズキ・メソード 鈴木鎮一

子どもの母語獲得をヒントに「どの子も育つ、育て方ひとつ」
戦時中は音楽どころでなく、鈴木ヴァイオリンの木曾福島工場長として、水上飛行機のフロートを製造していた。
敗戦の年、帝国高等音楽学院の同僚から、松本に音楽院を作りたいので手伝って欲しいといわれた。鎮一は答えた。
「ある程度誤ってできあがった人たちを修繕するような教育は、かつて東京で十分やってきましたし、あまり興味がありません。わたくしがやりたいのは幼児教育です。新しい考え方で、小さい子どもたちを教えていきたい」
この条件が受け入れられ、鎮一ならではの「才能教育」運動が始まった。
スズキ・メソードは発想でも理念でもほかの音楽教育法と全く違う。最初、親から幼児にヴァイオリンのレッスンを頼まれて、真剣に悩み抜いて思い当たったのは、「アッ、日本じゅうの子どもは日本語をしゃべっている!」ということだった。その時は跳び上がるほど喜んだ。
すなわち、スズキ・メソードの要諦とは、子どもの母語獲得がヒントなのだ。
どの子も日本語を獲得するように、だれでも自分を育てることができる。そしてそれは正しい努力にかかっている。正しい努力とは繰り返しやることである。
そう鎮一は言う。スズキ・メソードには「才能教育五訓」というものがある。
- より早き時期
- より良き環境
- より多き訓練
- より優れた指導者
- より正しき指導法
この五訓でやはり注目すべきは、3. の「より多き訓練」だろう。大切なことは知識ではなく行動なのである。鎮一は「生命は行動する者においてのみ、その力を発揮する」と述べている。
もうひとつスズキ・メソードで特筆すべきは、「音楽家を育てることを第一の目的にするのでなく、よい市民を、りっぱな人間を育てたい」ということである。
「どの子も育つ、育て方ひとつにかかっている」という鎮一の思いは、まことに強烈で、一時期は総理大臣に「育児保護司」制度設立を直訴するほどだった。
1961年4月16日、東京の文京公会堂で、20世紀を代表するチェロの巨匠カザルス夫妻を迎え、スズキ・メソードで育った子どもたちの合奏会が開かれた。合奏を聴いて感激したパブロ・カザルスはステージに上がり、こう語った。
「おとなたちが、この子どもたちのような幼い時期から、高い心と高貴な行いで、人生の第一歩を踏み出せるのは、なんとすばらしいことであるか」
さらに「おそらく、世界は、音楽によって救われるでしょう」と感動にふるえる声を張り上げた。カザルスは、鎮一が「音に命あり」との思いを込め、全力を傾けて美しい音作りに専心したことを、最初の音を数秒聴いただけで、直感的に理解できたのだ。
人間関係が希薄化する時代にスズキ・メソードの持つ意義
かつてヴァイオリンを習う年齢は7~8歳だった。スズキ・メソードで3~4歳からレッスン可能になったのは、指導技術の上で画期的な変更をしたからである。従来の最初に習うヴァイオリン曲は、ピアノに準拠して「ハ長調」だった。それでは左手の指使いに負担がかかるので「イ長調」の曲から始めた。それは250年の歴史を持つ西洋のヴァイオリン教育ではあり得ないことだった。
そして曲も、練習のための曲ではなく、もとはピアノ曲、合唱曲、民謡曲だったものをヴァイオリン用に編曲し、弾いて楽しい曲にした。さらに、易しい曲から徐々に難しい曲へと徹底したプログラミングがなされたヴァイオリンテキストを作った。そのおかげで、子どもたちは平均して4歳で始め、11歳で卒業する。
アメリカなど海外への紹介が始まったのは、1958年、オハイオ州のオベリン大学で開催されたオハイオ州弦楽教育者会議の席上で紹介されたドッペル・コンチェルト大合奏の7分のビデオテープがきっかけである。そしてスズキ・メソードが世界に知れ渡る決定打は、1964年から始まる10名の子どもたちの海外演奏ツアーだった。毎年1回、約3週間のスケジュールを30年間続けた。
一方、日本国内でスズキ・メソードが評価されなかったのは、大学をはじめ、日本の音楽教育関係者に理解が得られなかったことが大きい。鎮一も、あえて頭を下げてまでスズキ・メソードを広めようとはしなかった。スズキ・メソード関係者の拠点は「才能教育研究会」だが、その本部は今もって松本にある。
「どの子も育つ」の理念のもと、最終目標は人間教育であるという考え方がスズキ・メソードの核心である。そのために幼少期から、ヴァイオリンを通して感受性、陶冶性、忍耐性を涵養(かんよう)する。
これらの人間性はすべて他者との関係において意味がある。子どもがいちばん喜ぶのは合奏である。合奏で大切なことは、周りの音をよく聞いて合わせることである。そして良い合奏をしたことによって拍手を共有でき、そこに子ども同士の連帯感が生まれる。我慢強く、気配りができるようになる。人間関係が希薄化している現代にあって、スズキ・メソードが生み出すこのような好ましい傾向は極めて意義のあることといえよう。
参考・引用文献 : 鈴木鎮一『愛に生きる』(講談社現代新書)
写真提供 : 社団法人才能教育研究会
[2009年1月21日 公開]
[FUJITSU飛翔 No.61(2009年1月刊)より転載]
著者プロフィール
- 大島 眞(おおしま まこと)
- 1934年生まれ。都留文科大学教授、信州大学教授、実践女子大学教授等を歴任。スズキ・メソード関係の共編著に『現代のエスプリ 才能教育の展開-スズキ・メソードの可能性』(至文堂)がある。
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- 世界に知られた才能教育 スズキ・メソード 鈴木鎮一
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