新しい水晶振動子の発見 古賀逸策

恒温槽を必要としない水晶振動子
1925(大正14)年、対外無線通信の設備会社として日本無線電信株式会社が設立された。のちの国際電信電話会社である。初めは長波長の電波が使われたが、昭和に入ると短波長の電波が急激に用いられるようになっていった。それに伴い、送信周波数を安定させ、混信を避けるのに最も有望な水晶振動子が使用されることが多くなった。
水晶振動子がよく使われるにつけ、その限界が明らかになった。水晶の振動数は絶対に変わらないと思われていたが、気温の変化で多少変わるということがわかってきたのだ。このため米国では、恒温槽に入れて使うようになったが、日本では恒温槽がなかなかうまくできない。そこで、恒温槽を使わなくてもよいものができないか、という要望がとても強くなった。
古賀たちは、X板は温度が上昇すると振動数が下がり、Y板は反対に上がるので、X板とY板の中間の角度のところに振動数の変化しない水晶板が存在するのでは、と考えた。しかし、その中間をいくら小刻みに探してみても、一向に見つからない。いろいろな面に平行な板を手当たり次第に切り取ってみるが、これという手がかりもない。やはり根本から考え直す新しい理論の構築が必要だった。
解明しなければならない問題もあった。すでにほぼ定説となっていた振動数を求める式と、実測との間には5%の隔たりがあること。しかも、式が細い棒をモデルにして導き出されたのに対し、実際の測定には薄い板状のものを用いていること。これらを解明する理論を生み出すとなると、なかなか名案が浮かばない。
のちに古賀は、随筆で鯨井の言葉を引用している。「有意義な仕事であればあるほど、行きなやみがつきまとう。それにへこたれてはおしまい……」。それを踏まえて、古賀はある時期からは行き詰まるたびに「これは何かうまい前ぶれだな」と感ずるようになったと記している。
古賀は、悩んでいる間も実験の手を休めなかった。これまでは実験用の材料をきちんと作り終えてから振動数の変化を調べていたが、板の厚みをほぼ予定の寸法に切り出した段階で、ちゃんと発振するかどうか、ちょっと試してみたくなった。経験の積み重ねで楽に作れるようになり、心に余裕が生まれたからであろう。試してみると、結構うまいぐあいに発振する。しかも、板の厚みだけで一定の周波数になっている。そこで安心して工程を進めた。厚みを一様に仕上げ、輪郭を整えていく。
こんなことを繰り返すうち、ふと気が付いた。板面の形状がどんな場合でも、常にある一定の周波数の振動数になるということは、とりもなおさず、板面が無限に広い場合にも、やはり同じ波形の振動であるはずだ。水晶板のような弾性体が固有の振動数を持つのは、その弾性体に定常波が乗っているということ。それならば、2つの無限に広い平行な平面で限られた弾性体内に発生する定常波は、この2平面に平行な波面を持つ平面弾性波以外にはありえない(注3)。
この考えに基づいて、古賀は「厚み振動の理論」を構築することに成功した。水晶の各方位の振動周期を具体的な数値で出すのに、三次方程式の根を求めなければならない。当時入手できる最も詳しい三角関数表を使い、タイガー計算機で回しながら数カ月、朝から晩まで計算して完成させたのだった。
グラフにしてみると、X板とY板とでは、発振可能な振動が全く別の系統であることが一目瞭然であった。それゆえ、両者の中間の角度のところに、振動数が変化しない部分が存在するはずだというかつての考えは、全く無意味であることが明らかになった。一方、R' 板とY板の中間の角度のところには振動数が変化しない部分がありうるということもわかった。そこで、実験で探してみると、まさしくあった!
こうして、恒温槽を必要としない水晶振動子R1、R2板(AT、BT)が発見された。1932(昭和7)年秋のことであった。翌年の夏、実用試験にも成功した。
水晶振動子は、無線通信ばかりでなく、ラジオ、テレビ、マイクロウエーブ、自動車電話、携帯電話、電波航法システム、ラジコン、レーダー、電波望遠鏡など、およそ電波を発射するありとあらゆるものすべての心臓部で必ず脈動している。
世界をリードする時計産業の礎
このように水晶が実用化され、広く一般に使われるようになると、古賀も全く予想していなかった条件で使用され、簡単なようでなかなか簡単ではない問題が次々に出てくる。そのため、古賀は生涯を通じて水晶と付き合うこととなった。水晶は奥が深く、今なお汲み尽くすことのできない光り輝く素材なのである。
1934年夏、古賀は東京工業大学から海外出張を命じられた。ロンドンで開催された国際電波科学連合の総会で水晶振動子の詳細を講演するためである。1963(昭和38)年にその総会が東京で開催されたときに、古賀はその会長に選出されている。
この海外旅行中、古賀は大いなる収穫を得た。「水晶発振器からなる安定な周波数を基にして同期モーターを運転する水晶制御式精密電気時計」の試みを知ったのだ。すでに自身が欧米のレベルを越えた水晶振動子を発見している。それだけでなく、分周器も発明していたのだ。水晶はそもそも毎秒何万回という非常に速い振動をするが、歯車と同じように振動数を何分の1かに落としていく分周器を使えば、時計に必要な毎秒1回の振動を得ることができる、という次第だ。
古賀は、1927(昭和2)年に通信の秘密保持の研究からこの分周器を発明していたのだが、これこそむしろ水晶振動子よりも歴史に残る成果であると評価する人々もいる。水晶を真空管発振器の周波数の安定に使うという創意は、米国のケイデイによるが、こんにち水晶時計に使われている分周回路を最初に着想したのが、古賀だからである。分周器は水晶時計ばかりか、陰極線オシロスコープ、テレビジョンの映像同期などに広く使われている。
古賀は海外旅行から帰ると、さっそく水晶時計の開発に着手した。1937年に東京天文台で第一号機の試運転が行われたが、本格的な開発は戦後となった。
水晶時計は、集積回路の発達とあいまって、1969年「クォーツ腕時計」として世界で初めて日本で発売され、日本が世界の時計産業をリードするに至る。
こうした水晶の発展を見届けて、1982年に没した古賀逸策は、まことに幸せな生涯を送ったと言えるだろう。
(注3) 定常波は、互いに正反対の方向に進む2つの全く同じ種類の波の干渉によって生ずる。もし2つの波が平行でなかったり、球面波のようなものだったりすると、境界面で反射するたびに、「反射前の波と正反対の方向に進む全く同じ種類の波」ではなくなってしまう。
取材協力 : 東京工業大学名誉教授・道家達将/東京工業大学百年記念館
文中記載以外の参考文献 : 古賀逸策「水晶40年史」(1963年4月刊『国際通信の研究』36号所載)/道家達将「古賀逸策と水晶の研究」(『蔵前工業会誌』1988年10月号所載)/東京工業大学編「古賀逸策先生生誕百年記念講演会」レジュメ/河村豊「古賀逸策」(田中舘愛橘科学館HP所載)/織田一朗『時と時計の百科事典』グリーンアロー出版社/角山榮『時間革命』新書館/白根禮吉、和久井孝太郎編『ビジュアル版日本の技術100年 第5巻 通信放送』筑摩書房/竹嶋賢『ドロ沼の時計戦争』エール出版社/ジャック・アタリ『時間の歴史』(蔵持不三也訳)原書房
[2008年11月4日 公開]
[FUJITSU飛翔 No.39(2000年9月刊)より転載]
著者プロフィール
- 大宮信光(おおみや のぶみつ)
- 1938年生まれ。科学ジャーナリスト。科学技術と文明の未来を中心テーマに森羅万象を渉猟する。最近著に『学校では教えない自然と科学のふしぎ発見100』など。
- 日本人のオリジナリティ探訪(一覧)
- 植物生態学の先駆者 三好 學
- 新しい水晶振動子の発見 古賀逸策
- 胃袋の闇に光を当てた光学技師 「胃カメラ」の発明 杉浦睦夫
ジャーナル最新のテーマ
お客様の声をお聞かせください

富士通ジャーナルに掲載している記事やコンテンツについてのご意見・ご感想を、ぜひお寄せください。
お寄せいただいたご意見・ご感想については、富士通からの回答をお約束するものではありません。ご了承ください。
なお、富士通からのご回答を必要とするお問い合わせについては、
富士通ジャーナルに関するお問い合わせをご利用ください。





