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胃袋の闇に光を当てた光学技師 「胃カメラ」の発明 杉浦睦夫

不可能を可能にした最初の暗室実験

いくら会社を一身に背負っている、とうぬぼれる杉浦でも、所長の許可のない実験を堂々とするわけにはいかない。そこで杉浦は、昼間は位相差顕微鏡の研究に精を出す一方、皆の帰るのを待って、夜こっそり暗室に入り、胃カメラの基礎実験に着手した。

所長の言うように、胃の中には光がないため、光を持ち込む必要がある。しかし、レンズやフィルムの小型化の実現に比べ、光源の小型化には限度があり、たとえ小型にしても、当時の光源では光の強さが足りなくなる可能性は大きい。そのため杉浦は、暗い胃の中を、わずかな光だけで写真が撮れるかどうかを試す。もしそれができなければ、胃カメラの開発は、所長が指摘したように不可能なのである。

このとき、杉浦の脳裏に、ネオンサインの撮影の方法が浮んだ。夜のネオンサインを撮るときは、カメラを振りながら撮れば、ネオンは交流のサイクルにより明滅して100分の1秒間隔で撮影できるのである。さっそく、手近にあるものを物色し、懐中電灯を光源に、乾板の空箱を被写体にして、絞りを変えながらシャッターを切ってみた。その結果、絞りを開放しても乾板の字は読めたのである! 「やった! これで安心してこれから先の研究が出来るというものだ。嬉しい、とにかく嬉しい。ガランとした暗室の中で飛び上がって叫んだ」(『私の古い「研究MEMO」より』)

位相差顕微鏡の国産化から 世界初の胃カメラの発明へ

キティー台風から2カ月が過ぎた10月12日。その日は会社創立30周年の記念日に当たり、高千穂光学工業からオリンパス光学工業に社名が変更される歴史的な日でもある。その晴れがましい記念日に、杉浦が開発した位相差顕微鏡の発表会が組まれた。

オリンパスの第一号製品として、賑々しく発表される位相差顕微鏡は、杉浦のこれまでの生涯で最も輝かしい思い出になるはずであった。が、この社内発表会の会場で、社員の誰かのヒソヒソ声が杉浦の耳に入る。曰く「位相差顕微鏡も、所詮はアメリカの模倣(まね)さ……」。有頂天となっていた杉浦は、愕然とした。位相差顕微鏡の製品化に成功した杉浦に対し、オリンパス上層部は、より高性能で使い勝手のよい製品とするため、その後も位相差顕微鏡の改良に取り組むよう要請しただろうことは容易に想像できる。しかし、「アメリカの模倣」ということを認めざるをえなかった杉浦には、もはや世界初の胃カメラ開発以外のことは眼中になかった。

杉浦は、会社の承諾のないまま、なかば公然と胃カメラの研究に寝食を惜しんで没頭するようになる。そこに、諏訪工場から、深海正治という男が研究所へ転勤してきた。杉浦は、表向きは「フラッシュの研究」という名目で深海を自分の助手にし、彼を胃カメラの研究に専念させるのである。一方、宇治も、東大病院で診療を終えると毎日のように杉浦の研究室を訪ね、杉浦と深海の三人で論議を交わす日々が続いた。

その年のクリスマスイブの晩、杉浦は、三人で目指している発明品に名前を付けることを提案する。「胃」は英語で「ガストロ(Gastro)」というため、「ガストロ・フォター」、「ガストロフォト・グラフィックカメラ」などの案が上がった。そして語呂もよく、わかりやすいという理由で「ガストロ・カメラ(Gastro-camera)」とすることに全員が合意。その夜、三人は渋谷の街で酒を酌み交わす。このとき杉浦は、胃カメラの発明を目指す意気揚々とした心情をこう詠んでいる。

ガストロカメラと  名付けて闊歩(かっぽ)す  暮の街    無縫

「無縫(むほう)」とは杉浦の俳号。所長の反対を押して、新しいものを創り出すことを無上の喜びとした彼の、天衣無縫の研究者魂を象徴するに相応(ふさわ)しい。

腹腔(ふくくう)内臓撮影用写真機 ガストロカメラ、誕生

宇治の説明によれば、人間の咽喉(いんこう)および食道の平均的な口径は、14ミリだという。そこで杉浦は、胃に挿入する胃カメラ本体の管の口径は12ミリ、内径は8ミリ程度とし、その先端にレンズとランプとフィルムを内蔵する構造とした。

レンズは焦点距離5.06ミリの接写レンズ、ランプは直径5ミリの豆電球、フィルムはASA20の35ミリフィルムを縦に細く七等分して、5ミリ幅のフィルムを採用。また、フィルムのコマ送りは、フィルムの先端にひもを付けて引揚げるという極めて単純な方法を採用することとし、そのひもは太さおよび強度などから三味線の弦が適し、なかでも細棹用の二の糸が最適であることなどが次第に明らかとなる。

こうした試行錯誤の末に試作品が改良され、遂に世界初の胃カメラが完成する。昭和25年11月3日に開催された日本臨床外科学会で、宇治は、内視鏡診断の飛躍的な向上をもたらすことになる「胃カメラ」を発表する。のちに宇治は「腹腔内臓撮影用写真機を用いた診断法」についての学位論文を提出し、博士号を得ることになる。

またオリンパスは、発明者の宇治、杉浦、深海の連名で、胃カメラの特許を申請。日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスで特許を取得し、その特許によって、オリンパスは内視鏡のおよそ八割のシェアを持つことになる。

杉浦は、胃カメラを発明して間もなくオリンパスを依願退社し、昭和33年に杉浦研究所を設立。さらなる医療機器の発明に挑戦し続けたが、昭和61年8月、心筋梗塞で逝去する。

X線を発見し、X線写真診断などで科学技術の進展に貢献したドイツの物理学者レントゲンの存在は、今もって広く知られている。しかし、胃カメラを発明し、のちのファイバースコープにつながり、今日の内視鏡診断の確立に極めて大きな役割を果たした杉浦の名を知る者は少ない。レントゲン撮影では不可能な胃かいようや胃ガンの早期発見を可能とし、医療診断に一大革命をもたらした胃カメラの発明者の名は、今日その恩恵を受けている私たちの心に深く刻むべきである。杉浦睦夫、富や名声とは生涯無縁の天衣無縫の人生であった。

取材協力・写真提供 : 株式会社杉浦研究所

参考文献 : 杉浦睦夫『私の古い「研究MEMO」より』日本医学写真学会雑誌23巻1号1985/杉浦睦夫『ガストロカメラ』診療室6巻8号/『日本医学写真学会創設発起人杉浦睦夫氏を悼む』日本医学写真学会雑誌24巻4号1986/林田健男・宇治達郎・今井光之助『胃カメラの臨床的応用』手術6巻7号1952/宇治達郎『胃粘膜撮影法と其の応用』東京医学雑誌61巻3号1953/田坂定孝ほか『ガストロカメラによる胃疾患の診断』最新医学9巻6号1954/中坪寿雄『胃内視鏡の研究開発』応用物理67巻9号1998/宇治達郎追悼集編集会『追想宇治達郎』/吉村昭『光る壁画』新潮文庫

[2008年10月1日 公開]

[FUJITSU飛翔 No.36(1999年11月刊)より転載]

著者プロフィール

上山 明博(うえやま あきひろ)
1955年生まれ。サイエンス・ライター。科学と文学の垣根を越え、広範な分野で執筆活動を展開。著書に『科学を愛したサル』『アトムの時代』『ビジュアル・テレコミュニケーション入門』などがある。

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