Fujitsu The Possibilities are Infinite

 

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世界初の渦巻蚊取線香の発明者 上山英一郎

「理想の蚊取線香」への執着がダブルコイルのアイデアを生む

ある日、東京・本郷の旅館で、仏壇線香屋の息子と同宿した。旅の空の慰みで世間話をしているうち、蚊取線香のアイデアを思いついたという次第だ。

白檀(びゃくだん)、沈香(じんこう)、麝香(じゃこう)などの香料を、松脂(まつやに)や糊粉(こふん)、蜜柑の皮の乾燥粉などと一緒に錬り、底に多くの穴をあけた容器に入れて押し出す。これを切って乾かすのが、線香の作り方である。この香料の代わりに、除虫菊の乾花の粉を混ぜたらいけるというわけだ。

さっそく竹筒を使って試作してみる。取り敢えず線香らしきものはできた。しかし、手間がかかる。そこで仏壇線香の産地だった堺市の線香屋に人を送り、本格的に製法を学ばせようとした。だが、「秘伝の製法を盗む気か」とたちまち追い返されてしまう。

やむなく線香職人を雇い入れ、試行錯誤の結果、明治23(1890)年の夏、本邦初、いや、世界で初めて、棒状蚊取線香の商品化に成功する。英一郎、28歳だった。

この棒状蚊取線香が渦巻型になるにはまだ曲折がある。棒状では煙が細く、揮散する殺虫成分の量も少ない。それに一時間ほどで燃え尽きる。効果を期待するには、3、4本を同時に焚かないといけない。それやこれやで、また、新たな工夫が始まったのである。

端緒(たんしょ)は、妻ゆきの一言だった。「渦巻にしたら長持ちするんじゃないですか」という助言に英一郎はハタと膝を打つ。だが、これは失敗の連続だった。糊の粉に殺虫成分を混ぜ、水を加えて粘着力を出す。これをいわば粘土のうどんのように伸ばすのは、棒状蚊取線香とほぼ同じである。問題はその先だ。

木型に渦巻様の溝を彫り、原料の糊粉を流し込む。そのまま乾燥させて木型を外すのだが、これだと折れやすい。それにそうやって一つ一つ、渦巻線香を作るのは気の遠くなる作業だった。

またまた英一郎は壁に突き当たる。これを乗り越えるきっかけになったのが、ダブルコイルの発想である。木の芯を中心に、一定の長さに切った太い棒状の線香を2本ずつ手で巻いていく。この方法なら一度に2本の渦巻線香が作れ、しかも折れにくい。手先の器用な女子工員なら、一日に3000巻から5000巻つくることも可能だった。

ここには、もう一つ、秀逸な着眼点があった。二重巻きした蚊取線香を網で乾燥させると収縮して、くっついている線香の間にわずかに隙間ができる。一本ずつ外しやすいのである。

英一郎が、ダブルコイルのヒントをどこから得たかは、残念ながら定かではない。ヘビがとぐろを巻いているのを見てピンときたという説もある。だが、きっかけはともかく、二重巻きにするアイデアがなかったら、あるいは渦巻型蚊取線香も今日のように、日本や世界で普及しなかったかもしれない。

明治35(1902)年、渦巻型蚊取線香の市販を開始。渦巻にする着想を得てから7年たっていた。その間、英一郎は「理想の蚊取線香」に執念を燃やしたのである。特に金網で乾燥させる方法は、プラスチックなどの新素材が開発された今でもまったく変わっていない。

「驚威的ノ事ヲナシタク」という気概と迫力

かつて人は、英一郎のことを「商傑」と呼んだ。これがどういうことを意味するのか。英一郎の次男で、戦後、全国相互銀行協会の会長になった英三は、こう語っている。

「父は若い時から、強い覇気があった。しかし、誠実を人生のモットーとしていた。私共に対しては軽薄を戒め、誠心誠意、真心をもって人に対さなければ、決して人を動かすことが出来ないことを話すのが常であった」

ここにあるのは「凄まじい気迫をもった父親像」である。

英一郎の生地である和歌山県の地元紙も、「一種の鋭さと押しの強さをもって世に処し、業に臨み、人に接してきた人だった」と書いた。「素朴にして純真な点では、童心のような清浄さが根底に流れていた」とも続ける。

「鋭い押しの強さ」と「素朴な純真さ」は矛盾するようだが、この複雑さが一筋縄にはいかぬところである。そのウラにはコトに際し一歩も引かぬ気概がある。「秘めた迫力」こそ「商傑」たる所以で「貿易立国」を目指して除虫菊の普及に汗を流し、渦巻型蚊取線香の傑作を生み出すことにも繋がった。

何気なく見過ごしているが、殺虫成分の入った糊粉を渦巻にするには、強い粘着力が必要だ。だが、大量のデンプンを入れて燃えにくくなったのでは意味がない。蚊や蚤(ノミ)に有効な殺虫力を確保し、かつ渦巻にするほどの粘着力であることが望ましい。

そのバランスを取るのに、鹿児島や宮崎、高知県などに自生する椨(タブ)の木の皮を剥がし、乾燥させて粉にしたものが最適なことに気がつくまで、時間がかかったのも頷ける。糊の研究に没頭する英一郎を支えたのは、たぶん「モノづくり」に対する「素朴な純真さ」だったにちがいない。

ちなみに「金鳥」のブランドは、明治43(1910)年の制定だ。史記・蘓秦伝(そしんでん)の「鶏口となるも牛後となる勿かれ」から引いたもので、ここには英一郎の熱い思いが込められている。

噴霧式、エアゾール式、電気マット式、液体式、電池式と蚊取線香の形態も変化した。その中で渦巻型蚊取線香は、今も蚊取線香の「原点」として存在しているのである。

明治という時代は、多くの突出した人間を生んだ。上山英一郎もその一人だ。戦時中、国策会社の遊休地を活用しようと、その会社の幹部に面会を求めた時のこと。英一郎は「驚威的ノ事ヲナシタク思ヘリ」と言っている。

81歳、亡くなる2ヶ月前だ。「驚威的ノ事」をなすには時間が足りなかったが、この「迫力」こそ「商傑」の真骨頂だった。

取材協力・写真提供 : 大日本除虫菊株式会社

[2008年7月22日 公開]
[FUJITSU飛翔 No.49(2003年7月刊)より転載]

著者プロフィール

滝本 喬(たきもと たかし)
1946年生まれ。ライター。著書に『男たちの転機』『授業を変えれば大学は変わる』『柱の太さで家を決めるな!』(いずれも共著、プレジデント社)、『史上最強の家』(ダイヤモンド社)などがある。

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