世界に知られた竜巻博士 藤田哲也
セスナで竜巻を追跡する「ミスター・トルネード」
ドクターの学位を得て、単身アメリカに渡った藤田博士は、シカゴ大学バイヤーズ教授のもと、訪問研究員として気象学の研究に当たった。
藤田は持ち前の行動力と分析力を発揮し、竜巻が発生するとただちにセスナに乗って竜巻を追跡し、被害状況などから瞬間風速を推定した。そして、被害データなどから竜巻の強さを表す「F(フジタ)スケール」を独自に創案し、1971年に発表。F(フジタ)スケールは、アメリカ、カナダ、日本など、各国の気象庁で採用された。そして今日では、地震のM(マグニチュード)とともに「F(フジタ)」は、竜巻の強さを表わす世界標準の単位として、広く世界中で用いられている。
竜巻研究の最前線に立った藤田は、その後、気象学における2つの大きな発見をする。「竜巻の二重構造の解明」と「下降噴流の発見」がそれである。
前者の竜巻の二重構造を発見したのは、Fスケールを発表した年と同じ1971年のこと。竜巻が通った跡に残った残骸の様子を詳細に検証した結果、藤田はある結論に至る。
「大きな竜巻のなかに複数の小さな子竜巻が隠れていて、メリーゴーランドのようにくるくる回っている!」
だが、この藤田の新説に他の気象学者は全員「ノー!」と首を横に振った。彼らの反論の根拠は明快だった。いわく、「世界の竜巻の4分の3が発生するアメリカで、フジタが言うような子竜巻を見たアメリカ人は1人もいない」。
1979年4月10日、テキサス州で竜巻が発生した。それを地元に住むスタイレス氏がたまたま写真に撮ったところ、大竜巻の中に複数の子竜巻が潜んでいる様子が写真にはっきりと捉えられていた。
この写真は藤田博士のもとに送られ、博士はさらに調査を進めた。そして、7割以上の確率で大竜巻の中に子竜巻が存在していることを突き止める。
しかしなぜ、竜巻大国のアメリカで、これまで誰も子竜巻を見た者がいなかったのか。
「普通の人には見えていないものがフジタの目にははっきり捉えられるようだ」と、驚きをもって称賛されたのも当然だ。それに対し藤田は、「私は竜巻の二重構造を発見したのではなく、認識しただけです」と言ったという。
謎の航空機事故を解明した ダウンバーストの発見
ミスター・トルネードと呼ばれた藤田博士のもう一つの大きな業績に、下降噴流の発見がある。
1975年6月24日午後4時、ニューヨーク市のケネディ国際空港に、着陸体制に入った旅客機が突然墜落。100人以上の死者を出す大惨事となった。当初はパイロットの操縦ミスとされたが、航空会社の依頼で、藤田が調査することになった。
藤田は、フライトレコーダの記録などから、墜落の原因は操縦ミスではないことを確信した。「真犯人は、雷雲から下りてきて地面に激突し、放射状に広がる突風であるにちがいない…」。
こう結論付けた藤田は、この激しい下向きの爆風を「ダウンバースト(下降噴流)」と命名し、発表した。
これに対し、またも気象学者達はこぞって反対した。これまでの学会の常識では、空気のような粘性のない流体は流れが弱く、たとえ下降噴流が発生しても地面に到達するはずがないと思われたからだ。
気象学者の誰もがダウンバーストの存在をイメージすることができなかった。だが、藤田には、上空から地面に向けて放射状に広がる風を鮮明にイメージすることができた。
それは、長崎市の上空で原子爆弾が炸裂し、地面に熱風が激突し、放射状に飛散するイメージとぴったり重なっていたのだ。
その後、10年におよぶ論争の末、藤田が提唱したダウンバーストの存在が次第に明らかになる。そして、FAA(米連邦航空局)は藤田の提言を受けて、ダウンバーストを探知するためにドップラーレーダーを空港に設置し、同種の事故は激減した。
ノーベル賞受賞者に匹敵する最高の評価を受けた科学者
この間、藤田博士の研究に対して、与えられた賞を列挙すると、アメリカ航空宇宙局特別貢献賞、アメリカ航空宇宙学会ロッシー大気科学賞、フランス航空宇宙アカデミー金メダル、日本気象学会藤原賞などなど、枚挙にいとまがない。
また、シカゴ大学に准教授として就任した年から35年間、アメリカ政府は毎年欠かさず研究費を支援し、大学教授定年後の研究費まで援助した。その総額はなんと2730万ドル(約27億3000万円)にも上った。
さらに、シカゴ大学では、ノーベル賞受賞者に勝るとも劣らない最高級の扱いでもてなした。たとえば、シカゴ大学気象学教授を70歳で定年した後も、チャールズ・メリヤム特別貢献名誉教授として研究棟のワンフロアー、30室を占める藤田博士の研究室を継続して自由に使える、といった配慮があったのだ。
1998年11月19日、ミスター・トルネード藤田哲也博士は、他界する。享年78。
その訃報は『ニューヨークタイムズ』をはじめ、世界のマスコミで大きく取り上げられた。各誌の記事は、ミスター・トルネード・フジタのこれまでの研究成果の詳しい紹介とともに、博士の死を報じたのである。
藤田の訃報を聞いて、「故郷に藤田哲也記念館を」と、声を上げたのは、明治専門学校の教え子たちだった。そして、平成17年開港予定の新北九州空港内に、航空界で知られた藤田博士の記念館を設けることを目的に、藤田記念館建設準備委員会が結成された。
今、奇しくもかつて哲也少年が父と遊んだ周防灘の干潟が、建設地に選ばれ、新空港建設の槌音が響く。
ところで、藤田博士がその研究人生においてたえず心がけ、後進の科学者に折に触れて伝えた言葉が、『大学』の一節にある。それを最後に記して脱稿としたい。
心ここにあらざれば、見れども見えず。(The eye is blind if the mind is absent.)
取材協力・写真提供:藤田記念館建設準備委員会事務局・原田準一/今本善之助/中村弘
[2008年6月2日 公開]
[FUJITSU飛翔 No.53(2005年1月刊)より転載]
著者プロフィール
- 上山 明博(うえやま あきひろ)
- 1955年生まれ。サイエンスライター。特許庁産業財産権副読本策定普及委員会委員などを務める。著書に『プロパテント・ウォーズ』『発明立国ニッポンの肖像』(ともに文春新書)などがある。
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